布施英利がアートと子育てを巡るヨーロッパ紀行 #1 『最後の晩餐』
アートの評論家、解剖学者という肩書きを持つ布施英利さんは、アーティストを志す息子を持つ父親でもあります。布施親子によるイタリア・フランス旅行でのアート体験を通して、つい子どもに教えたくなるようなプロによるアートの読み解き方、そして布施流子育て論を3回にわたってお届けします。
布施英利
美術批評家・解剖学者
1960年生まれ。東京藝術大学美術学部卒業、同大学院博士課程修了(美術解剖学選考)。大学院生の時に二冊の著書を出版。以後の著書は約50冊。東京大学医学部(解剖学)助手などを経て現在に至る。著書に『人体 5億年の記憶』 『わかりたい!現代アート』など。
文:布施英利
親子で巡る、アート三昧の旅
長男とふたりで、イタリア・フランスを旅した。たくさんの絵画や彫刻を見る美術紀行だった。この記事では、かつての自分の子育て体験などを回想しながら、その旅の話を書いてみることにしたい。自分は芸術の研究に日々取り組んでいるので、「創造性を育てるには、どうすべきか?」ということにも関心がある。子育ての経験なども交え、連載の最後には、そういう「創造性を育てる」ことについても考えてみたい。
幼い頃の息子(左)と、今回の旅での息子(右)
息子は22歳で、この春に東京藝術大学の油画科を卒業した。いまは大学院でメディア映像を専攻している。現代アート作品の制作に取り組んでいて、映像を使ったインスタレーションや、絵画制作の勉強をしている。その息子とのふたり旅なので、行き先はすべて美術を見るための場所だった。まずはイタリアへ行き、ミラノやフィレンツェ、それにベネチアやパドヴァを訪ねた。ルネサンスの古い美術をはじめ、ベネチア・ビエンナーレという現代アートの祭典なども見た。
ここでは、その中でも最高の作品、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』のことを書いてみたい。
自分の専門のひとつがダ・ヴィンチの研究で、現在の中学2年生向けの国語の教科書に、自分が書いた「君は『最後の晩餐』を知っているか」という文章が載っている。光村図書の教科書で、全国の7割ほどの中学校で使われているので、日本の中学生の7割は、自分が『最後の晩餐』について書いた文章を、楽しんでか嫌々ながらかは分からないが、ともかく教室で精読していることになる。
その『最後の晩餐』を、長男と見た。
『最後の晩餐』と長男。
名画の実物はまるで3D作品のような迫力
絵に描かれているのは、真っ白なクロスのかかった長いテーブル、その向こうに13人の人物がいる。中央にいるのがキリストで、右に6人、左に6人、その弟子が晩餐の席についている。キリストが、おもむろに口を開き、「この中に自分を裏切った者がいる。そのため明日、自分は十字架に磔の刑を受ける」と告白する。それを聞いた弟子たちが動揺する場面を描いたもので、明日死ぬ運命なので、これが最後の晩餐、という訳だ。
長男は、今回が初めてのイタリア旅行で、つまり初めて『最後の晩餐』を見た。じつは自分にはもう一人、息子がいて、その次男は兄と同じ東京藝術大学で音楽を専攻している。中学生だった次男が、音楽の交流でイタリアにホームステイし、『最後の晩餐』を見た時の感想を思い出した。この名画には、中学生の心も掴む力があるらしく、帰国した次男は「あの絵って、壁から飛び出して見えたけど、どうして? ふつう3Dって、画面の手前に飛び出して見えるけど、あの絵は壁の向こうに3Dがあった、どうして?」と、ダ・ヴィンチの研究をしている父に、盛んに質問してきた。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、遠近法の研究と取り組み、『最後の晩餐』は、その集大成とも言える作品だ。この絵は、よく見ると、キリストのこめかみのところに、釘をさしたような穴が空いている。ダ・ヴィンチは、どうやらその釘に紐を付け、そこから横に、斜め上に、さらには斜め下へと紐を伸ばし、その紐の線に沿って、壁と天井の境目の線などを引いた。つまり一点遠近法の作図をした。まっすぐな廊下の光景などで、床や天井や壁が奥に行くにつれて、幅が狭くなり、一点へと修練していくように見える。あれを絵画に応用したのが、一点遠近法の技法となる。それは、遠くのものほど小さくなる縮小の遠近法という言い方もされる。この遠近法を理論と技法を完成したのがダ・ヴィンチで、『最後の晩餐』が、その最適な作例なのだ。
国語の教科書に掲載されている『最後の晩餐』
遠近法を知らない子どもの視点で見る世界
ここで、息子が2〜3歳の頃のエピソードをひとつ紹介したい。ある日、近所の公園のベンチに次男とふたりで座り、若者ふたりがキャッチボールをしている光景をぼんやり眺めていた。すると息子が自分に質問してきた。キャッチボールをしている若者をさして、「あの人、大人なのに、どうして小さいの?」というのだ。
それは遠くにいるから小さいのだろうと説明したが、もしかして幼児というのは、遠近法で世界が見えてないのではないか、とハッとした。目で見た通りのありのままの比例、という言い方で言えば、息子の見方の方が正しく、自分たち大人は、いろんな知性や経験で、世界を勝手に作り上げているのではないか、と。遠近法の説明を聞いた息子は「大人のように」世界が見えるようになったかもしれないが、それでひとつ、世界がつまらなくなったかもしれない。
子どもにも教えたくなる、色を使った遠近法のトリック
長男と見たミラノの『最後の晩餐』だが、じつは「遠くのものは小さい」「一点に修練する」という一点遠近法以外にも、別の遠近法の手法も使われている。色彩の遠近法だ。
『最後の晩餐』は有名な絵だから、ミラノで見たことがなくても、ほとんどの人は、どういう絵か、ご存知だろう。写真やテレビで、何度も見てきたはずだ。しかし本当に「よく見て」きただろうか? たとえば中央のキリストが着ている服は何色か? 紫色? 茶色? それとも赤? 青? お分かりだろうか。キリストは赤い服を着ている。さらに片方の肩に青い布が掛っている。ともあれ、赤い服を着ている。
『最後の晩餐』のキリストの服と背景に注目!
じつは、色にも遠近法というのがあって、赤は手前に飛び出して、青は奥に引っ込んで見える、という効果がある。そして『最後の晩餐』では、赤い服を着た背後の遠景に、青い山がある。この赤い服と青い山が、色彩遠近法の効果で、さらなる遠近法空間の効果を生んでいる。そんな技法によって、『最後の晩餐』は驚くべき効果を発揮している。
自分と長男は、その絵の前で、その絵の遠近法の効果について語り合った。そんな風にして、息子とのイタリア・フランスのふたり旅は始まった。
20年以上も子育てをしてきた自分にとって、この旅は「子育ての総仕上げ」という感慨も伴ったものであった。
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