見出し画像

レイちゃんの「おもいで写眞」

私の母は、孫にレイちゃんと呼ばれている。
親元を離れてからすでに長い年月が経ち、もはや母娘というより、一人の人間として接する機会が増えたせいか、私も時々彼女を、頭の中でレイちゃんと呼んでいる。
よく役職が人格を作ると言うが、呼称もひとを作るのだろう。
80歳を過ぎた彼女は、「おばあちゃん」と呼ばれることの似合わない、
「レイちゃん」というひとりの老人になった。

数年前、そんなレイちゃんと2人で、京都旅行に行った。
前年に父が亡くなり、親戚の集まりに行くのに、平日、自由がきく私が付き合ったのだが、私にとっては人生初の母娘2人旅となった。
いつも「忙しい」を言い訳に、一人暮らしとなった彼女を放置しているせめてもの罪滅ぼし――という訳ではないが、こんなチャンスも滅多にないだろうと、集まりの日より1日早く前ノリして、京都に入った。

京都はレイちゃんが大学時代を過ごした思い出の地だ。
市バスでゆっくり観光名所を巡りながら、「あの角には喫茶店があって、よくみんなで集まっていた」とか、「あそこに住んでいた人はだれそれと結婚した」とか、とどまることなく話し続けるレイちゃんのおしゃべりをBGMのように聞き流しながら、気がつくと私も、60年前の京都を想像し、満喫していた。

レイちゃんの出身校である大学前を通りかかった時、彼女は急に「住んでいた下宿があったところに行ってみたい」と言い出した。
私にも異論はなく、すぐにバスを降りると、レイちゃんはしっかりとした足取りで迷いなく歩き出す。
いつもは歩け歩けと言っても、すぐに疲れたと座ってしまうのに、その場の思い出がそうさせるのだろうか。若い頃に戻ったような足取りで、記憶を頼りに元気に進んでいく。
しかしさすがに60年も経つと、大学の場所こそ変わらないものの、周囲の風景はすっかり様変わりしている。自信満々だったレイちゃんの記憶も次第におぼつかなくなり、案の定、道に迷ってしまった。
住所を覚えていても、すでに町名自体が変わっており、こうなるとGoogleセンセイも役に立たない。
結局、道を通りかかった老人にかつての町名を伝えて場所を聞き出し、随分遠回りして、ようやくかつての下宿の場所へと向かった。

その場が近づいてくるにつれ、レイちゃんの記憶は再び蘇り、足取りは軽くなっていく。私は(どこにそんな力が残ってるんだ)と、やや辟易しながら、彼女の背中を追った。追いながら、レイちゃんの、母の背中を追うことが随分と久しぶりなことに気づく。

いつの間にか私は母を追い越し、先を歩く大人になっていたのだ。
そのことが、不意に私を少しだけ、切なくさせた。
もうそんなこと、驚く年でもないというのに。

私の前で、小さくなった母の背中が、左右に揺れている。

その後、無事に下宿があった場所(当然、全然違う家が建っていた)に辿り着き、時の流れを改めて感じた私たちは、レイちゃんの大学に立ち寄り、守衛さんに卒業生だと告げて、まだ昔のままに残された、古い校舎の中に入らせてもらった。
ピアノ科だったレイちゃんは、その校舎の2階で練習したのだと、階段を見上げ、懐かしそうに言う。
守衛さんは入る時、「2階には上がらないでね」と私たちに念押ししたが、校舎の中までついてくることはなかった。
平日で、その場所には私たちしかいない。

「2階に行こう。2階に行って、写真を撮ろう」
私がそう言うと、レイちゃんは反対もせず、早速階段を登り始めた。
また私が、その背中を追う。

2階には古いタイル張の広い踊り場があり、その先に小部屋に分かれた練習室がいくつか並んでいた。
言い出したわりには小心者の私は、守衛さんに怒られないかとドキドキしながら、「さっさと写真を撮ろう」とレイちゃんを急かした。
レイちゃんは今まで絶えることのなかったおしゃべりを封印し、しばらく黙ってその小部屋を眺めていた。レイちゃんの頭の中には、きっと様々な思い出が去来しているのだろう。黙ったままのレイちゃんの隣で、私もその思い出を、一瞬、見たような気がした。
「写真、撮ろ」
私がもう一度言うと、レイちゃんは黙ったまま振り返り、その日一番の笑顔で写真に収まった。あどけない、少女のような顔をしていた。













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?