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子育てについて④ 躾けること

私は子育てにおいて躾をとても大切にしております。

子どもが親の上に立つことは認めません。

親に従うことも当然の事としています。

またルールを破ったり、悪を選んだ時は厳しく叱ります。

また子どもが小さい内はお尻ぺんぺんも行います。しかも思いっきり手加減無しで叩きます。

しかし感情的に躾を行うことはしないように心がけています。

また何故それがいけないことなのかも、出来る限り子どもが納得出来る説明を行うようにしています。
(仮に納得出来なくても、ルールはルールとして従わせます。)

そして親は自分を愛していて、自分の為に言ってくれている。
またはお尻ぺんぺんも親はやりたくないけど、私を愛しているからやっている。躾を行う時も、子どもがこのことが理解出来るように丁寧に接します。

聖書には以下のように書いてあります。


[箴言 23:13,14]

 子どもを懲らしめることを差し控えてはならない。
 むちで打っても、死ぬことはない。
 あなたがむちでその子を打つなら、
 その子のいのちをよみから救い出すことができる。


[箴言 13:24]

 むちを控える者は自分の子を憎む者。
 子を愛する者は努めてこれを懲らしめる。



私は上記の聖句が真理であると自らの子育てにおいても実感しております。

私は子どもを厳しく躾けますが、躾を行う程に、子どもは後で親の愛を受け取り、親を尊敬し、また好きにもなると思います。

私の三人の子どもは私のことを尊敬しています。
また大好きです。
そして私の言葉に従い、私の指示を尊重します。

それが良いことで、自らの益になり、また父親に従うことが彼らの喜びにも繋がっているからです。

もちろん、いつもそうではないかもしれません。時には不平不満、私に対する愚痴も口にします。

しかし彼らがそこに留まり続けることはありません。


私の躾は傍から見ると厳しいどころか、
甘々で、
子どもを自由にさせすぎだ、
もっと厳しく接しないと!
と思われているかもしれません。

そのような側面も事実です。私はどうでもよいと思うことに関しては大きな自由を子どもに与えます。

逆にある人々は子どもを細かくコントロールしようと怒り、怒鳴り、手を出しますが、私は子どもをコントロールする気はありません。

自分がコントロールされることが大嫌いで、神は決して人をコントロールしないお方であるので、私も限界のギリギリまで子どもを自由にします。

大きな迷惑や命の危機、悪に関わらない限りは必要以上に子どもの選択や意思に介入しないようにしています。

(人をコントロールすることが大好きな存在は悪魔です。自分をいつもコントロールして、支配しようとするプレッシャーをかけてくる存在がいるとすれば、背後に悪霊が働いています。)

最近は子どもを愛しているなら褒めるだけでいいとか、叱ってはいけないとか、子どもの意思を全てにおいて尊重するとか、

正しい躾を行わない親が増えてきているようですが、もしそんなことをすれば、子どもを悪やプライドから守ることは出来なくなります。

また霊的な成熟が遅れ、大人になってから大きな痛みと損失を払って後から無理やり・強引に、他者や厳しい環境から本来は親の躾を通して学ぶべきレッスンを学び直すことになるのです。

そんな悲しく、非効率で、子どもの益にならない結果を招かない為にも、本質的な事に関しての躾は厳しく行うのです。


しかし本質的な躾を行い、その躾が本当に効果的に機能し、親子の愛と尊敬が増大し、子どもが正しい道を自ら選ぶ力を成長させることは容易な事ではありません。

これには小手先のスキルやテクニックは通用しません。

きっと親が大胆に威厳と愛を持って厳しい躾けを行えない理由は、自らが神によって躾けられていない事が原因であると思います。

人は自分が出来ていない事を、子であったとしても、他者にさせることは出来ません。

自分が出来ていない以上は、その領域に関して霊的な権威と力を失ってしまっているからです。

悪魔は何世代もかけて日本人から本当の躾を行える力と権威を親から奪うことに成功しています。

人々は偽りの自由を得る中で、真に謙り、真に従う意味を学び、自らの人生に適用することなく大人になり、結婚し、子も産み、またその子も同じことを繰り返してしまっています。

従うことを学んでいない親から従うことを子は学べません。
天と人の前に正直に生きることを学んでいない親から、子が正直さは学べません。
愛を学んでいない親から、子は愛は学べません。

反面教師で学ぶことはあるかもしれませんが、親からの流れの中では難しいでしょう。

私たち親は先ず自分が神の前に出て、自らに与えられた権威と責任に対して、神の前に謙り、従い、誠実になる必要があります。

それを先に行う時に霊的な世界における権威と力を得るのです。

そうすれば、何をするか、何を言うか。

では無く、

誰がするのか、誰が言うのか。

の誰に私がなれるのです。


その誰とは誰でしょう。
神が認めたのです。

悪魔はその私には従うしかないのです。
それ故に子どもの中の悪は私に従い、子どもの人生から出ていくのです。

イエスは天に昇る前に言いました。

[マタイの福音書 28:18,19,20]

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。
ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」



2021年、日本が暗闇に勝利する時代の始まりです。


(今回の見出し画像 先週貰った次女からの手紙)


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