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私の目覚めの物語③ 中学生編

中学生時代は小学生より多難な時だったと思う。

私の学校はとても荒れていて、学級崩壊が起きていたし、治安が悪かった。

ここで私のような元気なお調子者は不良グループに入るか、元気でお調子者で無くなるかの選択を迫られる。

私は不良も嫌だし、元気を無くすのも負けたみたいで嫌だった。

中二の頃に不良の中三に楯突いた事がキッカケで先輩に目をを付けられて色々と苦労した。

それまでは仲良しだった同い年の友達が不良になっていき、先輩側について攻撃してきたこともあった。

呼び出しをくらって何人にも囲まれた事もあるし、祭りの時に隣の中学の恐い先輩から探された事もあった。

まだまだ心が弱い中学生時代であったので、当時に感じていたプレッシャーは大人になった時の試練よりも、もしかしたら大きかったかもしれない。

学校が子どもにとっても先生にとっても安全で楽しく、大好きな場所になればいいと思うが、当時からの本質的問題は何も解決しないまま現場は今も疲弊しているようである。

本質的な教育が回復しない限りは末端の問題は解決しないままであるのは明らかだと思う。

話を戻すと、結局荒れに荒れた私の中学校は多くの刑事事件も起き、校長が変わり、警察も入り、学校中から同級生も含めて20名以上が施設に送られることで収まることになったと思う。

今思い返すと凄い時代を生き抜いたと思う。

私もいくつかの死線を潜り抜け、何とか無事に元気でお調子者であり続ける道に留まることが出来たようである。

今思い返すと暗闇の勢力は私の命を奪おうとしていたし、私の召命も奪おうとしていたことが良く分かる。

しかし私は神の力でこの時も奇跡的に守られたのだと思う。

ある時に預言者にこう言われた。

『あなたは歩く奇跡だ。天使があなたを死から守り、遠ざけてきた。』

きっと中学生時代は、見えない天使と、神の力が私の周りに垣根のように張り巡らされていたんだと思う。

その守りを壊す為に悪魔は何度も私を罪の道に誘惑してきた。

そして誘惑に陥る時はいつも敵は私の人生を支配しようとしてきた。

私は自分の心の中に希望や喜びが無くなった時はいつも夜ベランダで神に祈った。

そしていつも何かを悔い改めて、希望と喜びをもう一度心に宿してから次の日を迎えるようにしていた。

私は落胆の日々を送ることがとても嫌だったのである。

その当時から私は知らず知らずの内に神との会話や、恐れや心配に対して御言葉で勝利する生き方をしていたのかもしれない。

中学時代を通して学んだ事は、悪に染まると悪に支配される人生になること。

高校時代は面白さや力ではなく、優しさと人徳で人気者になる事を目指そう。

そう思ったのを覚えている。

教会生活はヤンチャな見た目にはなっていたが、毎週日曜日は礼拝に参加し、春と夏のキャンプでは賛美や礼拝の中で神を感じていたように思う。

大変な中学時代であったが、神に対する信仰は揺らぐことは無かった。

当時から私の思考は普通のクリスチャンとは少し違っていたんだと思う。

私は夜空を見ながら、友達と語りながら、神の国の見せるビジョンを当時からうっすらと見始めていたんだと思う。

今、それを失わずに令和まで生き延びれたことを心から神に感謝している。

多くの人に迷惑をかけ、お世話になり、助けて貰った。

神の国の中に生き延びれなかった友も大勢いる。

しかし誰かが約束の地に到達したのであれば、多くの物事はひっくり返ると信じている。

イエスが十字架で成し遂げた事、死からよみがえった復活の力。

その力が解き放たれるからである。

日本が目覚める時です!



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