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日常を、どんな景色に囲まれて生きていくか。

人間が変わるには、
・時間配分を変える
・住む場所を変える
・付き合う人を変える
くらいしか方法がない

ってよく聞きますよね。

私も仙台から今の場所に移って、
通勤時間はほぼゼロになった反面、
会社からの帰り道にできた買い物は、片道30分かかるようになり、
しかも電車から車に変わったので、移動時間を有効活用することはできなくなってしまいました。
客観的には「果たしてこれってプラスなのか?」っていう気にもなります。

一日の中で、「運転することしかできない時間」が結構なボリュームで出てくる。
24時間の密度、という意味でいうと、少し下がったかもしれない。

でも、実際暮らしてみると、
より日々を穏やかに過ごせるようになった、というか、
うまく言語化できないけど、なんかハッピーになった気がしたんですよね。

それってなぜだろう?と考えると、
「日々どんな景色に囲まれているか」の変化が大きいのかもしれない、という点に行き当たったんです。


仙台にいたときは、電車通勤+徒歩、かつその電車というのも地下鉄だったので、通勤中に意識を向けているものは、ほぼ100%スマホでした。
代わり映えのないビル街の風景とスマホの画面が、通勤時間を支配していた。

今、車移動の時間を圧倒的に支配しているのは、「農村の風景」です。
通る道が同じなのは変わりませんが、それでも自然の何がいいかというと、
同じ景色でも、季節が巡れば違う表情を見せてくれることなんですよね。

春夏秋冬、異なる色合い、異なる肌ざわり、異なる空気感がある。

もうこんなに日が伸びたんだなあ、とか、
田植えが進んで緑色がまた増えてる!とか、
だいぶ空気が夏に近づいてきたなあ、とか。

同じ風景から、本当に日々、いろいろなことを感じ取ることができる。

もし自動運転ができるのなら、本当は移動時間も作業したり、食事したり、有効に使いたい。
でも、こうやって視界を外に固定させられていることで、都会に住んでいたときには感じられなかったいろいろなことを、自然とインプットしているのだと思います。

そう考えると、ちょっぴり長いドライブの時間というのも、あながち悪くないなあ、と思えるし、
ますますこの日常が、愛おしいものに感じられるのかもしれません。

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