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プロの語る、「覚悟」の重み。

昨日、宮崎駿さんと、息子の吾郎さんの物語がNHKでやってまして。

印象的だったのは、「コクリコ坂から」の公開直前のエピソード。

東日本大震災が発生し、傍目から見れば出勤もままならない状況。
計画停電で、PCを使った作画(?)の作業ができないリスクがある。
そもそも、そうでなくとも作業の進捗は遅れている。
封切りの日は、数カ月後に迫っている。

一度は、計画停電の影響も考慮して、数日間の休業が決まったけれど、
その決定に駿さんが「考えられない!」「混乱をきたすって、どこが混乱してるんだ?みんな出勤できてるだろう?!」と憤慨。
一転、PCを使った作業をする班は夜間勤務になるなどしてまでも、
原則全員出勤になった、というエピソード。


発言者が宮崎駿でなければ、
「こんなブラック企業が!」なんて反応もありえそうな発言だけれど、
むしろその後の発言が、強く印象に残っていて。
それが、「覚悟」という言葉。

駿さんが、密着中の端々で「覚悟」という言葉をおっしゃっていて、
その意味が自分の中ではイマイチ腑に落ちていなかったのだけれど、
このシーンで、初めてその意味が、少しだけわかった気がした。


作業が終わらず、封切りに間に合わないなどということは当然許されない。
一方で、「間に合わせ」で不完全なものをリリースするなどということも、もちろんあってはならない。
そして何より、作業をするのは自分自身ではない。
監督ができるのは、幾多のスタッフをまとめ、判断を下す、いろいろなことを「決める」こと。

そんな中で、単に作品をリリースするだけでなく、
多くの人を「ちゃんと」感動させる、
商業的にも「成功する」作品を完成させなければいけないプレッシャーは、
いかほどのものか。


そんな過程を目の当たりにして感じたのは、
普段当たり前のように見ている完パケの作品は、
ただの「作業」の積み重ねではなく、
多くの人の「工夫」と「努力」によって生み出されていること。

そして同時に痛感したのが、
そんな「プロ」たちの仕事ぶりと比べれば、
自分が普段いかに「不完全な仕事」をしているのか、ということ。

自分の「仕事に対する向き合い方」、本当に今のままでいいのか?
そんなことを、改めて考えさせられた年の瀬です。

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