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月を見上げる余裕はあるか?

今日は皆既月食でしたね。
私の住んでる地域でも、月が欠けていくところと戻っていくところはちゃんと見れました。
(皆既食の時間は、雲に隠れたのか明かりが足りなかったのか、なんにも見えませんでしたが)

いや、正直、今日は月食どころか?って感じではあったんです。
乃木坂のアンダーライブもあるし、
日向坂の生配信もあるし、
エスパルスの試合もあるし、
東大王の放送もあるし、
月食も進んでいくし、
すべてがリアルタイムに同時進行しているので、
目と耳が3つずつくらい欲しい感じでした。


月がだんだん欠けていって、その縁取りが薄ぼんやりとしてくる様子、
すごい幻想的ですよね。
こんなにいろいろなことが重なっていなければ、
しばらくずーっと外にいて、だんだんと欠けていく月の様子を眺めていたいのに、と思いました。

一方で、こうやって月を眺める、そのことすらも、
昔の自分にはできていただろうか?とも、ふと思い返してしまいます。
皆既月食だ!スーパームーンだ!と言われたとして、
じゃあ今夜は月を見上げてみよう、という時間的余裕、心の余裕は、果たしてあっただろうか。


東京にいた頃、遅くまで仕事をして、家に帰ってただ寝るだけの日々。
疲れ果てている、というより、本当に「余裕がない」状態で。
純粋に、夜8時台とかまずまだ仕事も終わってないだろうし、
仮に仕事が終わっていたとしても、帰りの電車の中、あるいは家に帰ってだらーっとしている時間で、
月が満ち欠けしていく様子など、電車の中から、あるいは家の窓から一瞥するくらいがせいぜいだったかもしれない。

忙しいことは悪いことじゃない、
時間がないくらいバタバタしているのも幸せなことかもしれない。
でもそんな中でも、
心の余裕は失わないようにしたいし、
ときにはぼーっと月を見上げるような、そんな時間と心の穏やかさをずっと持ってい続けたい。
そうでないと、誰かに優しくしたり、誰かの支えになったり、そういうこともできないはずだから。

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