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誰かの笑顔のために、もうちょっとがんばりたい。

センバツの組み合わせが、決まりましたね。

開幕を1週間前に控えた直前のタイミング、
ギリギリまで無観客開催などあらゆる可能性が検討されていた中での、
苦渋の中止決定。
あれからもう1年になるんですね…。

あの頃は、ありとあらゆるものが、次々と中止になって、
次々と、ポジティブなエネルギーが削り取られていくような、
そんなやるせなさを感じていたのを覚えています。

あれから1年、
本来の形ではないかもしれないけれど、
ようやく、甲子園にも球児の喚声が戻ってくる。


甲子園というのは、社会的にも影響力が大きい行事で、
実際にプレーしている球児のみなさんだけでなく、
その裏にいる多くの人の期待を背負っているから、
余計に目立ちやすいけど、
昨年、涙を飲んだのは、もちろん球児たちに限ったことではなくて。

今であれば、オリンピック・パラリンピックの選手などは、
それこそ言い知れぬ複雑な心境を抱えながら、
本当に開催されるかもわからないオリンピックをただ信じて、
トレーニングを続けているのだろうと思います。

あるいは、小さなライブハウス、劇場、寄席小屋で、
今もなお夢を追い続けている、アーティスト、俳優、芸人さん。
公演もなくなり、生活の糧であるバイトもなくなり、
生活を成り立たせていくのすら困難な状況にあっても、
まだ夢を諦めずに、もがき続けている人もたくさんいるかもしれない。

いろんな困難があるのは間違いないけれど、
その舞台を目指して頑張っている人たちのために、
どんな形であれ、やれるにこしたことはない。
それは、甲子園でも、オリンピックでも、小さなライブでも、
本質的には同じことなのだろうと思います。

多くの人の努力や辛抱の積み重ねがあって、
こうやって少しずつ日常が取り戻されていく。
顔も知らぬ「誰か」が輝ける場が、ひとつずつ増えていく。
そして、多かれ少なかれ、
それを見て、笑顔になったり、勇気づけられる人も確かにいる。

何もかもリモートで、人が集まることすら許されないような状況から、
ようやく、配信ではあるけれど、一つの場で紡がれるライブの光景を見ることができるようになった。
声は出せないけれど、スタジアムに行って、
ひいきのチームに応援を届けることもできるようになった。
私自身も、少しずつ取り戻されていく日常に、確かに元気をもらっている一人で。

一人ひとりの、そして自分の日々の心がけが、
誰かの笑顔をつくることにつながっていく。
そんな想像力を持って、日々を見つめ直すと、
いよいよ窮屈さを感じ始めてしまうようなこの状況でも、
もうちょっとがんばれるのかもしれない。

まだまだ厳しい日々が続きますが、
明けない夜はないと信じて。
もう少し、あと一歩、ですよね。

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