「不要不急」と言われても…。
来週、ベガルタ仙台と清水エスパルスの試合がユアスタであります。
年間で多くても2回しかない、仙台でのエスパルス戦。
宮城県在住のエスパルスサポーターとしては、
県をまたがずにエスパルスを応援できるのは、この機会しかありません。
宮城県は独自の緊急事態宣言発出下ではありますが、
期間中もビジター席の設置等も含め、試合はこれまで通りに実施されるということなので、諸々気をつけつつ参戦しようと思っているところです。
「不要不急の外出の自粛を」と言われると、
サッカー観戦も不要不急と言われる類のものに入るのかもしれません。
でも、試合は行われる。客も入れる。
「真にやむを得ない理由でサッカー観戦に行く」という状況はちょっと想像しづらい。
興行をしている側としては、しっかりと準備をして、お客さんを迎え入れる準備をしている。ぜひ来てほしいと思っている。
一方で、不要不急の外出は……と呼びかけられている。
どうしよう、と思う、迷う気持ちが出てくるのは、行く側にも、迎え入れる側にも、共通のものかもしれません。
「不要不急」とは何なのか?
なくなるとそこで働いている人が生活に困るという点でいえば、
本当に不要不急な仕事なんてほとんどない、ということになってしまいませんか…?
消費者側から見れば、
それがなくても生死に関わるものではないのだろうけれど、
その仕事で働いている側からしたら、そうやって、仕事がなくなる、稼ぎがなくなっていく。
そんなことが常態化すれば、それこそ多くの人の生死に関わるかもしれない。
そしてなにより、私たちにとっても、そんな状況を放置しておけば、
これまで大事にしてきた「文化」や「コミュニティ」がなくなっていくのをみすみす見逃すということになってしまう。
やがて状況が落ち着いて、今まで通りに生活できる!となったとしても、
その前にそのマーケットが消滅してしまっていたら、あるいは庶民には手が届かないものになっていたとしたら、元も子もない。
大勢で食事を囲んでわいわいしたり、
スタジアムやライブハウスで声を出して応援することは、
さすがにまだ難しいでしょう。
でも、それ以外のこと、
例えばスタジアムに行って拍手をすることはできるのだとしたら、
これまで紡がれてきたサッカー文化を、今後も楽しんでいける、残していけるように、自分にもできることをしたい。
その最たるものは、サッカーで言えばやっぱり「スタジアムに足を運ぶ」ことだと思うんです。
できる範囲でお金を落とす、ちゃんとビジネスが回っていくようにする。
逆に、それを思いっきり消費者側から判断する、
「それがなくても生活に差し障りがない」という尺度で見るならば、
かえってほとんどの仕事が「不要不急」になってしまいませんか…?
真っ昼間に会社にかかってくる「インターネットの代金がお得になるお知らせなのですが…」的な営業電話とか、個人的には本当に不要でしかない。
そうなると、いよいよ「不要不急」ってなんだろう…?
ますますわからなくなってきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?