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ほっておくと、楽なほうに流れてしまうから。

以前Twitterで流れてきた、とある興味深い記事。
「エコーチャンバー現象」というのがあるんですね。

規模が違う大学を比較したときに、
大規模な大学のほうが、多様な環境を確保できそうなものですが、
実際は、多様性に目を向ける以前に、「自分とよく似た人間」もかなりいるため、かえって同質的なグループができやすくなってしまう、とのこと。

逆に、規模が小さな大学では、多様性も少ないけれど、選択肢が少ない分、自分と考え方が異なる人間ともつながりを持つ必要性が生まれる。

この対比の中から、同質性の高い集団のことを、音が反響していつまでも残存する部屋になぞらえて、「エコーチャンバー(反響室)現象」と呼ぶのだそうです。


確かに、よっぽど冒険気質な人とか、オープンマインドな人でもない限り、
多くの人が、どうしても居心地の良い(=同質性の高い)空間を無意識に選んでしまうのだろうな〜と思うし、
実際私は初対面の人が苦手なので、特にその傾向は強いかもしれない。

ましてやネット空間で、自分が意図しないうちに、似たような「心地よい」言論の中に自分が囲まれてしまっていたとしたら…?
そのこと自体もですが、それを知らずに「今見えているものが世界のすべてだ」と思っていたかもしれないと思うと、ちょっと怖くなってしまいます。

現実世界には、もちろんいろいろな人がいるし、
実際にはあまり関わりたくないと思うような人もきっといる。
そういった人と実際に関わりを持つかどうかは別にしても、
そういう人がいるんだ、と知っておくことは、
自分の世界を狭めてしまわないために、大事なことなんだろうと思うし、
そうすれば、何か特定の意見に流されてしまったり、狭い視野の中で物事を判断してしまうことも、きっと避けられる。

とはいえ、自分が心地よくいられる場所「コンフォートゾーン」を、自分から飛び出していくというのは、本当にエネルギーを消費することだし、
何かきっかけとか、外圧とか、そういったものがなければ、わざわざ好き好んでそういう環境に身を置こう、というモチベーションにはならないのかもしれない。

だとすると、自分に必要なことは、
好むと好まざるとにかかわらず、そういった「新しい出会い」や「いろいろな人と関わらざるをえない」ような場所に自分を置いておいて、
自然とそういった機会ができるような環境を、初めからつくっておくこと、なのかなあ、と。
どうしても人間関係に疲れたら、そのときだけ引きこもっておけばいいわけだし、
自発性に期待しても、どうせいつまでも踏ん切りがつかないのだろうから、
半ば強制的に、エコーチャンバーに入らない、入れないような状況を、予め自分で作り出しておく。

それなりに荒療治ではあるけれど、
案外そのくらいでちょうどいいのかもしれないし、
良くも悪くも自分の自発性とか行動力みたいなものを信用していないので、
まずは環境を整える、外堀を埋めておく、ということは、
ときどき意図的にやっていることのような気がします。

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