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自分へのPrincipleをつくること。

今日は、タイムラインに流れてきたこちらの文章から。

コミュニティにおいては「文化づくり」が大事です。その入り口となるのが「価値観やビジョンを言語化すること」です。

これは外のコミュニティのみならず、家族においても有効だと考えています。家族は最小単位のコミュニティであり「血がつながったり、つながっていなかったりする他人が時間・空間を共にする場」です。しっかりと文化形成していくことで、夫婦の関係構築や、子供の育児、教育、周りの人たちとの付き合いにも、プラスの影響があるのではと考えています。

こういう関係性で家族がつくれたら、こんなに幸せなことはないですが、
それもまた、私にはもうちょっと先の話になりそうだ…。汗

なんてことはいいとして、
プリンシパル…じゃなかった、Principle、確かに大事ですよね。
(プリンシパルはPrincipalですね。私はミュージカル界隈で知った言葉ですが、もとはバレエ用語らしい。…というのはこれもまた完全な余談)


2人以上人が集まったらそこには人間関係が発生する=コミュニティができるといっても過言ではないと思うのですが、
人間ひとりひとり違うのは当然ですから、そこに軋轢や齟齬ができるのも、まあ仕方ない。
でも、せっかくならお互いハッピーに過ごしたい、というのも多くの人が願うことだと思います。

どういうことをされると嬉しくて、
逆にどういうことをされると不愉快に感じるのか。
どういう状態に向かえているとハッピーで、
逆にどういう状態に陥っているとストレスを感じるのか。
常に一緒にいる家族ですら、わかってそうでわかってないことも多そうだし、ましてや他人となったら、言うに及ばず、ですよね。

コミュニケーションの作法なんて人それぞれだし、
言いたいことがあったら口に出さないと伝わるわけないし、
それを自分の中に溜めておくだけカルシウムの無駄遣いだな、と思ってしまいます。


そして、もうひとつ大事なことは、
ここまでの話は、対他人との関係性という話でしたが、
今回の話題はそれに限らず、
対自分との関係性、という点でも言えることだと思うんです。

他人が考えてることなんてそうそうわかるわけないけど、
自分が考えてることも、案外わかってるようでわかってない。

自分でこうしたい、と思っていることや、
こうなればいいな、と思っていることも、
それがどのくらい真剣にそう思っているのか、
本当に自分の意志で、心の底からそう思っていることなのか、
案外見極めがつかないことというのも、多くあるような気がしています。

こうやってnoteに毎日文章を書くことも、
私にとってはジャーナリングというか、自分の考えを整理するためにけっこう役立っています。
日々ぼんやりと考えていること、ふと思っていることが、
自分自身にとって大事な価値観を形成しているものなのか、
それともなんとなく思いついたことなのかというのは、
こうやって文章に落としてみると、筆の進み具合とか、書いている文章への自分自身の納得度とかで、結構はっきりと分かったりするんですよね。

そうすると、自分自身の人生を前に進めていくために、
これはやったほうがいい、これにもっと時間を使ったほうがいいな、とか、
自分の行動を自分の文章が指し示してくれるので、
以前よりいろいろなことへの迷いが、多少は少なくなったような気がしています。

「他人との関係性」も言語化したほうがいいのはもちろんだけれど、
「自分との関係性」も、きちんと言語化してあげたほうがいい。
意外と忘れがちなことだけど、日々健やかに過ごしていくために、
自分へのPrincipleをつくる、というのも、
これもまた、重要なことなんじゃないか、と感じています。

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