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「愛される人」は「愛を与えている人」なんだなあ。

にくめない人って、いるじゃないですか。
決してカリスマってわけでもないし、ちょっと抜けてるところもあったりするけど、
なんだかんだで周りに人が集まってきて、多くの人から好かれている。

一般的に欠点と呼ばれるようなところも含めて、年上・年下問わず、
「にくめないよね~。」って周囲から言われてるような、そんな人。


私が知ってる中でも一二を争う「にくめない」方(だいぶ年上ですがw)を交えて食事に行く機会が以前ありまして、
仮にKさんとしましょう。

Kさんはその会で一応ゲスト的扱いだったのですが、
お会計の段になって、「自分も払うよ!」と言い始めた。

もちろんゲストなので、その場の幹事的な方は「いやいやここは大丈夫ですよ!」と言うのだけれど、Kさんはやはり払うよ!と。
幹事の方がどうにかそこを断って、普通だったらそこで「じゃあお言葉に甘えて…」となりそうなところだったのですが。

なんと、払いそこねたお札を私含め、年下の参加者のポケットにねじ込んで、こう言い放ったのです。
「若い人の分は僕が持つから!」

この行動に、Kさんの「にくめなさ」の真髄を見たような気がしました。


どうやったら相手がいい思いをできるか、というところが絶対的な判断基準になっていて、とことんブレがない。
自分の損得というのを完全に差し置いて、とにかく他者のことを第一に考える頭になってないと、とっさにこんな反応はとれないだろうし、
少なくとも自分は、そういう行動をとるという発想まで至らなかったので、びっくりしたのと、ただただすごいな、と。


思えばこのKさん、
仕事とかでも結構ムチャなお願いでも聞いてくれたりする反面、
おちゃめな一面もあって、
「落ち着きがない」とか「どことなく抜けてる」とか、
周りからいじられることもしばしば。

でも、それで誰かの信頼を失ったり、みたいなことがあんまりないのは、
同じ「やらかし」とか「おちゃめ」でも、
Kさんの場合は、その行動の裏でいつも「誰か」のことを想っている、ってことが、大方みんなに伝わってるから、
「もーーしょうがないか」で片付くのかなあ、と思ったり。
これが別の人だったら、たぶん同じ反応では済まないと思うんですよね。

そして、それがもはや「キャラ」として定着しているのは、
Kさんがそれだけの長い間、この「利他」の行動を積み重ねてきたからに他ならないと思うんです。
これって、一朝一夕にできるものではないよなあ、と。

そう考えると、つくづくすごい人だなあと思います。

常に誰かのために「愛を配っている」からこそ、
自分自身も「愛される」、にくめないね、って言われる人になっている。
すごく素敵だし、自分もそういう人に少しでも近づけていけたらいいなあと思いつつ、まだまだ道は果てしないなあ。。。

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