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コアな「熱狂」をどう生み出すか。

今日はこんな記事から。

これまでの時代、消費者はスポーツ選手に対して「強さ」や「完璧さ」を求めており、スポンサーはこうした画一的なイメージが自社の製品販売に生かせると判断して、資金を拠出していた。大会イベントも同様で、スポーツを見に来る人のほとんどは試合に「熱狂」を求めている。必然的にそうしたイメージに合う選手こそがアスリートとしてふさわしいという流れが成立しやすい。

だが、スポーツの世界においても多様化が進んだ場合、選手の言動やファンのあり方についても同じように多様化する。このため、テレビが全世界に同じ試合を放映したり、大人数を会場に動員するといった従来型のマス・マーケティングは成立しにくくなる。

無観客のオリンピック。
開催の是非にすら賛否両論渦巻く中で、いくら五輪といえど、これまでのような熱狂を生み出すことはきっと難しいでしょうし、
下手したら、この「盛り下がり」は、今大会だけで済む話ではないのかもしれない。

22年の北京、24年のパリは、さすがに「今まで通り」の五輪が戻ってくるのでしょうが、
そのとき日本人は、21年の東京で起きたことなど忘れてまた熱狂するのか、
それとも、日本において五輪への熱狂は永遠に帰ってこないのか。
現時点では、まるで予想がつきません。

ただでさえ、この1年半で大きく経済が傷んでいるわけですから、
五輪はどうあれ、マスなスポーツイベントにお金が回らなくなってくる未来というのは、十分ありえてしまいそうです。


では、興行としてのスポーツ全体の裾野は狭まり、
「冬の時代」がやってきてしまうのか。
個人的には、必ずしもそんなことはないと思っています。

記事中でも言及されていましたが、
マスなターゲットに共感を得てもらうことが難しくなってくる一方で、
ひとつひとつのクラブチームや、特定の競技そのものには、
相変わらず熱狂的なファンがついていて、彼らはそうそう離れることはない。

仮に競技やチーム自体がマイナーなものであったとしても、
そのファン、サポーターが生み出す熱狂や、その競技・チームが根差しているコミュニティ、地域への影響力が大きければ、
その「仲間」に加わりたい、と感じてくれる、価値を理解してくれるスポンサーはきっといるはずで。

テレビCMのように、一気にマスに対してひとつのメッセージを伝播する手法が、すぐに廃れていくとは思えないけれど、
それでも、小さいけれど確かな「熱」を帯びたコミュニティに、仲間として入っていくようなマーケティング手法は、これからますます広がっていくのだと思います。

何より、そういう方法なら、マス広告を打てるほど大きくない企業でも、誰かにメッセージを届けることができる。
結果的に、そのほうが全体の裾野はもっと広がっていくはずです。

あまり内輪になりすぎて、排他的になってしまうのはよくないけれど、
小さくてもいいからアツい、熱狂の輪をどう生み出していけるか。

ファンがファンを呼び、共感と熱狂の輪を広げていく。
スポーツビジネスやスポンサー稼業に限らず、いろいろなところに通じるポイントなのだろうなあと思います。

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