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「電車」が描く心象風景。

「サヨナラの意味」という曲を、最近よく聞いてます。

(余談ですが、この曲、MVもなかなか深い、難解なテーマなんですよね…)

この曲の冒頭は、こんな歌詞から始まります。

電車が近づく 気配が好きなんだ
高架線のその下で耳を澄ましてた

柱の落書き 数字とイニシャルは
誰が誰に何を残そうとしたのだろう

この歌詞を初めて聴いたとき、私の中に浮かんできた情景は、
高校時代、毎日電車で登下校していた、なにげない「日常」でした。

毎日同じ路線に乗って、同じ駅で乗り降りする。
そんな繰り返しの日常の中で、
ふと柱に書いてある落書きが気になってみたり、
いざ卒業が近づいてくると、
「この駅でこうやって毎日乗り降りするのもあと少しか…」と、
そんな日常がいとおしく、少し感傷的になったり。


でも、ふと思ったんです。
「この情景は、万人に共通のものではないんだよな。」


私は20代半ばまでずっと首都圏に住んでいたので、高校は電車通学。
もちろん、周りの同級生たちも、例外なく皆、電車通学でした。

でも、地方に来れば、鉄道が走っていない地域も多いですから、
当然「電車通学」は所与のものではありません。

そんな人たちにとって、この「電車」というワードは、
どのような情景を想起させるのだろう?

そんな疑問が浮かんだとき、私の頭の中にふっと浮かんだのが、この曲で。

住みなれたこの部屋を 出てゆく日が来た
新しい旅だちに まだ戸惑ってる

駅まで向かうバスの中
友達にメールした

朝のホームで 電話もしてみた
でもなんか 違う気がした

曲にも、そしてMVにも通底して描かれているのは、
故郷・福岡からまさに上京しようとするときの、
期待と不安が入り混じったYUIさん自身の心象風景で。

この曲が象徴的に表すように、
電車が「故郷からの旅立ち」「片道切符」といった、
「一度きりの出来事」「非日常」といった情景の象徴として描かれる。

同じモノからまったく真逆の情景が思い起こされるのは、なんだか不思議な感じもしますが、
でも、歌謡曲、J-POPで広く描かれる「電車」というと、感覚的にはむしろこちらのほうが多数派かもしれません。


歳月の流れは 教えてくれる
過ぎ去った普通の日々が
かけがえのない足跡と

「電車で通勤・通学する」という行為は、
当時の私にとってはあまりに「普通の日々」でした。
帰りの方向が同じ友達と、途中の駅で下りてカラオケに行ってみたり、
乗り換えの電車を一本見送って、エキナカの本屋で立ち読みをしたり、
そんなことも、ごくごくありふれた日常だった。

でも、今思えば、
これも都会に暮らしていたからこその出来事だったわけで、
住む場所が変わった今、そんな環境など望むべくもない。

まさに、歳月の流れが教えてくれました。
過ぎ去った「普通の日々」が、「あたりまえ」でも何でもない、
望んでも手にできないものだったかもしれない、ということを。



でも、そんな環境が「不足」かといえば、もちろんそんなこともなくて。

幾多の街並み、人並みが流れゆく電車の車窓はないけれど、
日々の積み重ねを四季が映し出す車の車窓がある。

寄り道、買い食いの風景はないかもしれないけど、
迎えの車を待つ、ふっと生み出された「まっさら」な時間がある。

そんな「土地」「暮らし方」の様式を見つめていくと、
今までの生き方とは違った、新しい魅力的な「風景」が見えてくる。

これもまた、住む場所を変えたことで得られた価値観なのかなと思います。

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