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「反省」にも反復練習が必要なのかもしれない。

今日、久しぶりに商談、というか、確度が読めないネゴシエーションの場、みたいなやつに出て話をしたんですが、
こういうのやると、毎回終わった直後に、すごい反省するんですよね。

「あの場ってああいう話の持っていき方でよかったんだろうか?」
「あそこはああじゃなくてこういうふうに言えばよかったかなあ」
「今日の話の展開イマイチだったな、こうすればよかったな」
「この表現の仕方、相手の気に障らなかったかな」
などなど。

「今回は完璧だ!よくできた!」って思うことってまずなくて、
アポが終わって帰り道はまず間違いなく反省モードなので、
元気のいい音楽流してその感情ごと流し去ってしまうか、
それかいっそのことスローな音楽流して「自分ダメだーーー」モードにとことん落ちるか、
どちらかでもしないといられないくらいには毎回なります。笑

今日の帰り道も
「今日もイマイチだったなあーーー」
と思いながら帰ったのですが、
そういえば、こういう感覚を持ったのも久しぶりだったなーということも、ふと思い出したのでした。

前回アポに行ったときも、きっと同じように「イマイチだったなあ」と思ったんだろうけど、なにせ前のことすぎて、何がどうイマイチだったのかは記憶の彼方に消えてしまっており。
メモでもとってりゃよかったんでしょうけど、反省に上がる内容って、話の組み立て方とか、言葉遣いとか、ひとつひとつはけっこう個別性の高いものが多い、かつ、感覚的なものも多いので、正直その場ではあまり言語化できていないんですよね。

そこで感じたのが、「反省しすぎるくらい反省の回数が増えていかないと、反省したことが改善には結びつかないんだろうな」ということ。

反省点たちをある程度俯瞰して、共通化して見れるくらいに、「反省の数」そのものを増やしていかないと、
結局、反省点ひとつひとつが感覚的なものから抜け出なくて、
「次に生きる」ようにはならない。

同じミスを何度もするのはよくない、って見方もあるかもしれないけれど、
「失敗しなくなる」のと「成功する」のはまた別の物差しなのだから、
反省の材料をコンスタントに積み重ねて、それをすぐ次に生かす。
そうすることでようやく、少しずつ話の進め方や表現の仕方なども「上達」していくんだろうなーと思いますし、
これは何も、交渉ごとに限らない、いろんなところで言えるんだろうな、とも思います。

そしてそのためにも、まずは場数を増やさないといけない。
とある知り合いが、何かに挑戦することを「バッターボックスに立つ」と表現していたのが言いえて妙で、
まずはバッターボックスにいっぱい立って(場数を踏んで)、いっぱいバット振って(挑戦して)、いっぱい三振して(失敗して)くることから。
バッターボックスに立たなければ三振はゼロですが、安打も打率もゼロのままですからね。

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