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欲望なき社会には、衰退しかないのか?

ちょうど1年前くらいに8割方書いて投稿しなかった下書きがあって、
1年経ってもこの考えはあまり変わっていないなーと思ったので、
改めてこの原稿に向き合ってみることにします。

1年前、この投稿を書き始めたきっかけは、
SHOWROOMの前田社長が出てた「アナザースカイ」を見たこと。

幼少期の苦労をバネにして這い上がり、早稲田から新卒でUBSへ、
そして入社2年目でのNY配属という「栄光」を勝ち取った前田さん。

その言葉の端々には「欲望」「野心」というキーワードが何度も上がってきていて、ああ、社会を大きく動かしている人の熱量というのはこれほどまでに凄まじいものなのだな、と思った反面、ちょっと怖くなった。

魑魅魍魎の資本主義社会の中で、
欲望を持てなくなった先にあるものは衰退しかないのか?

いや、正確にいうと、
お金の動かない「欲望」は、資本主義経済の中では認められないのか?

そんなことを感じてしまったのです。


「経済を回す」ことと「幸せになる」こと。
高度成長期、日本が右肩上がりの中では、この2つはイコールだったように思います。

車や家電を手に入れる。
庭付き戸建ての家が建つ。

がむしゃらに働いて経済を回し、稼いだ給料で物欲を満たし続けることは、
「幸せになる」ことと基本的に同義だった。

一方で、今はどうなのか?

個々人の「幸せ」は多様化していて、
「モーレツ社員になって、残業代をたっぷり稼ぐ」のではなく、
「ほどほどに働いてワークライフバランスをとりたい」という価値観の人も増えてきている。
仕事のやりがいを求めて、敢えて年収が下がる仕事を選ぶ人も珍しくない。

かくいう自分だって、そんな「野心」なんて大それたものもないし、
ましては「欲望」みたいなものは、はっきり言って皆無に近い。
さほど経済を回さなくとも、それなりに幸福度は満たされてしまう。


ただ、人々の「幸福度」が、お金だけでは測れなくなった一方で、
世界の「豊かさ」は、なおも貨幣価値を中心に回っていて。
日本のGDPは、あっという間に3位まで落ちて、この座だってゆくゆくは失う可能性が高い。

経済の拡大をないがしろにしてしまったら、日本はあっという間に世界から置いていかれる。
お金は経済の「血液」だとすれば、血が回らない体には死しかない。

幸せは必ずしもお金と結びつかない一方で、
資本主義経済を拡大させ続けていかなければ、相対的に不幸になっていく。
この歯車は誰にも止められない。

「お金だけが幸せ・豊かさではない」と言い続けるのは、
自分にとっては心地よい生き方だけど、
めぐりめぐって相対的にこの国を「貧しく」することに加担しているのではないか?
そんな不安が、時折心をよぎったりもする。


でも、それでも信じたい「問い」があって。
それは、
その「野心」は、誰を幸せにするのか?
ということ。

生き馬の目を抜く競争社会で、そんな言葉は命取りなのかもしれない。

ビジネスの荒波の中で必死に生き残って、儲かって、
それしか結果的に誰か(自分含め)を幸せにする道はないのかもしれない。

でも、がむしゃらに競争にまみれた先に得られるものは、
本当に自分自身を満たしてくれるのか?

人口も減る。資源も無尽蔵ではない。人の時間も有限だ。
人が豊かに生きるために経済があるのであって、
人は経済を回すために生まれてきたわけじゃない。

目の前の「欲望」や「発展」に飲み込まれて、自分を見失ってしまわないように、自分の人生を自分自身で舵取りする。
言葉で書くほど易しいことではないけれど、
この先行き不透明な時代を生きていく中で、意識していきたいな、と今思うことです。

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