見出し画像

Bon voyage.

「らしい」エールの送り方だなあ、と、
こちらも思わずほっこりしてしまった、この投稿。

これからも続いていく人生で
自分にとっての幸せを大切にしていけますように!
素敵なご縁がたくさん繋がっていきますように!

大好きよ😌いつもありがとう。

何かにつけて「不遇」という言葉で語られがちで、
まあ確かにそうだよなあ、と思ってしまう部分も多いし、
その卓越したパフォーマンスを見れば、もっと日が当たるところにいてもおかしくなかったのではないか、とも思ってしまうけれど。

でも、それはあくまで「グループの中」での序列の話であって、
それがその人の評価のすべてではないんですよね。
むろん、その序列の前後で、これからの成功が決まることも、ない。

今まで過ごしてきた時間よりも、明らかにこれからの人生のほうが長くて、
「元○○」の肩書きが通用する期間は、その長さを考えれば、あまりにも短い。


最後に選抜の一員として、Mステとかで歌う姿を見せることが、
今までお世話になった人への、何よりの恩返しになったんじゃないか。
そう考えるのもごもっともだし、確かにそれも一理あると思う。

一方で、
今さら三列目で「思い出づくり」をしたところで、それで卒業後の仕事が増えるわけではないのだから、
そんなことに時間を取られるくらいなら、かえってその時間で外仕事をたくさんこなして、卒業後も通用する人脈や評価を勝ち取ったほうが、よっぽど有意義だ。
そんなイジワルな考えも、あながち間違いではないと思う。
結局、どっちが正解とかは、ない。


そしてこれは、別に彼女たちの世界に限った話ではなくて。

学校でも、部活でも、果ては会社でも、
何かと「序列」を意識させられる機会は世の中にゴマンとあって、
その度に私たちは、その先後、上がり下がりに一喜一憂させられてしまう。

でも、その序列はあくまでその狭い世界の中限定で有効なものであって、
一度その世界の外に出たら、「○○で一番だった」なんて勲章は、何の役にも立たない、そんなことだって枚挙に暇がない。


もちろん、「上を目指す」のは大事なこと。
序列を駆け上がっていくことによって、見えてくる世界もある。

でも、その小さな港を出て、大海へと漕ぎ出したとき、
「今何番目にいるのか」という「相対評価」よりも、
「どれほどのものを積み重ねてきたか」という「絶対評価」のほうが生きてくる日が、きっとくる。

だからこそ、負け惜しみでもなんでもなく、
「自分が立てた舞台で、どれだけ輝けたか」を誇りたいし、誇ってほしい。
その輝きをつぶさに見てくれている人も、きっとたくさんいるはずだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?