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先行き不透明な世の中だからこそ、「冗長性」という名の“ムダ”が必要なのかもしれない。

今日は、この記事から。

本当に「今年の除雪が間に合わない」のは「土建業を食わせてこなかった」からなのかは議論の余地がありますが、
(いくらなんでも降り方が尋常じゃないし、秋田とかはもはや大雪というより「災害」といっても過言じゃないと思う)
それにしても、


「コンクリートから人へ」
かつて民主党政権が生まれたころ、盛んにもてはやされたこの言葉に、
私も心底共感をしていました。

これから人口が減っていく日本で、本当にお金を投入すべきは、
一日何台の車が通るかわからない道路ではなく、
これからの社会をつくる人なんじゃないか。

その考えは、今も間違っているとは思いません。

でも一方で、そんな「ムダ」だと思っていた「コンクリート」、
正確には「コンクリート(=インフラ)をつくれる人や企業(が存続していける環境)」が、
こういう有事の際にはフル稼働して、地域のピンチを乗り越えられる力になっていたんだ、ということも、こういう状況になってみて遅ればせながら気づいたことで。

私たちが「ムダ」だと思って「合理化」してきたものは、
実は、いざというときに発揮すべき「冗長性」だったのではないか?

そう考えると、
「ムダ」なものをばっさり切り捨てるのは簡単だし見栄えもいいけど、
本当にそれでいいのか?

現実として、もちろん無い袖は振れないのだけれど、
最後のセーフティネットとして、ここがすっぽ抜けたらもう拾ってくれる人は誰もいない。
本当に難しい問題だと思います。


そしてこれは、きっと土建業に限ったことではなくて。

たとえば、地方公務員や、地方議員。
地方自治体の人口減少、それに伴う税収減で、
行政職員も議員も、その数は減っていくばかり。
その一方で、市町村合併で行政区域はますます広くなり、
結果、職員や議員が、地域をきめ細やかに歩く、地域の課題につぶさに目を配らせることすら難しくなっている。

たとえば、電力会社。
原発をどうするか、脱火力をどう実現するか、一筋縄ではいかない課題が山積みになっている中、
「改革」の目玉として進められた発送電分離。
そんなさなかで起きた、昨今の電力取引価格高騰。

今「医療崩壊」が叫ばれている中で、医療職もそうかもしれません。


公務員・議員の削減にしても、電力自由化にしても、
できる限りの「ムダ」を省き、効率化・合理化をはかろうというのは、
受益者たる市民・消費者の利益のため。

でもそれが、もしかすると、
いざというときのための「冗長性」を奪い取り、
新たな「困りごと」を生んでしまっているのだとしたら?


災害も頻発する。テクノロジーも進化する。
いろんな方向で、時代はどんどん「不確実」になっていく。

無い袖は振れない世の中で、いろいろなことを合理的に、効率的にしていく必要性はどんどん高まっている。
でも一方で、先行き不透明な世の中だからこそ、
いざというときに慌てない、そのための「余力」「余裕」の大事さもまた、
かつてなくその必要性が高まっているような気がします。

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