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無目的な時間こそ、貴重なのかもしれない。

仙台のまちなかでちょっと時間が空くときがあると、
だいたいここに行こう、と一箇所すぐに思い浮かぶ場所があって、
それが、イオンの上にあるブックオフ。

1冊110円とか220円とかで買える本が多くて、
そもそもの取扱冊数もものすごく多いので、
棚を巡りながら本を眺めているだけでも飽きません。

もちろん、普段住んでいるところの近く、日常の行動圏内にも、
本屋はないわけではないのだけれど、
車社会の弊害というか、予定外の場所にふらっと寄る、みたいなことが、
徒歩とか自転車で移動するときよりも圧倒的に少ないので、
そもそも本屋に寄る頻度が圧倒的に少ないんですよね。
(だいたいの本が古本で手に入る時代なので、この著者を応援したい!ということがない限り、新刊の本屋に用がない、ということもあるけれど)

買い物に行くにも、車で20分とか30分出ないといけない生活圏なので、
何がなくとも外出する、なんてことはそうそうないし、
車移動だから自分の好きなときに、好きな場所へ行けてしまうので、
こことここ、と決めたらまっすぐそこに行って、後は家に帰る、それだけ。
それこそドンキとかイオンとか、大きな量販店に行って、目的のコーナーの横にある別のコーナーにふらっと、みたいなことはあるけれど、せいぜいそのくらい。

無目的に過ごす時間がほとんどない、ということは、
一見すると人生を効率的に、要領よく過ごせているのかもしれないけれど、
最近思うのは、無目的な時間こそ、かえって貴重なんじゃないか、ということで。
「セレンディピティ」なんて言葉もそれこそよく聞くけれど、
ふらっと寄った本屋で、見るつもりもなかったコーナーに立ち寄って、パッと目についた本との思わぬ出会い、みたいなことは、
それこそ無目的な時間がないとありえないわけで。
でも、そういう「自分が普段見ている・見えている視野」の外にある情報とか刺激とか、
そういったものがないと、思考の幅だってどんどん狭まってしまうし、
それこそ人生がきっと退屈なものになってしまう。

「無目的な時間」を「意識的に」とるって、なんか言葉に矛盾があるようで不思議だけれど、
でもそんな時間も、やっぱり大事で必要なのだろうし、
普通に生活しているだけではそういう時間が生まれてこないのならば、
あえて意識的にでも「つくる」ということも必要で。
そんな思考が、私の足をあのブックオフに運ばせているのかもしれません。

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