究極のオーガニック食品は身の回りに生えているー食べるか、捨てるか
オーガニック野菜がなぜよいのかというと、野菜や果物、それらが育つ土壌、そこに住む生き物、そこで生きる農家の方々に、農薬の被害がないから。
農薬で死ぬのは害虫だけじゃない。
農薬をまくと土には微生物がいなくなり、土地が痩せ、流れる水も汚染され、農薬を吸った人は病気のリスクも高くなる。
オーガニック野菜は農薬が使われていない。
何も犠牲にしていないから、いいのだ。
私はこの春、オーガニック野菜よりもっと環境にやさしく、もっと人間と共生していける食材を見つけた。
摘み草料理の会
4月4日(月)、有給をとって奈良県宇陀市で行われる「摘み草料理の会」に参加した。
私が去年から通っている食養・お料理教室「やまと薬膳」のイベントだ。
この日のイベントは、先生と一緒に山に分け入って食べられる野草の見分け方とその採り方、効能を習い、野草のお食事をいただくというもの。
野草のまち・宇陀
宇陀は飛鳥時代から薬草のまちとして知られている。
ドイツ人夫も、体調を崩すとまずはハーブを飲む。
毎年ドイツの母からたくさん送られてくるハーブティーは、「風邪のとき」「熱があるとき」「お腹が痛いとき」など効能ごとにブレンドされている。
薬草やハーブは今も先進国で信頼を得ているのだから、学んでおくに越したことはない。
野草の強さ
オーガニック野菜は畑に種をまいて育てる。虫がつかないように世話をするのは大変だ。
ところが野草は自分で生えてくる。前の年にそれぞれがちゃんと種を残し、春になるとその種は忘れずに芽吹く。
野草はとにかく頑丈で、一度育てば根っこを引き抜かない限りどんなに短く切ってもまた生えてくる。
野草が死ぬときは寿命を全うしたとき。種を残して冬と一緒に土に帰るのだ。
農薬を必要とせず、虫に負けずに凛と育つ。
私たちは自分たちが食べるだけを、根っこをとらないように気を付けて採取する。
山に分け入って草を採ることは、輸送コストもかからないので余分な温室効果ガスも出ない。
究極のオーガニック、そして地産地消は摘み草ではないだろうか。
摘み草料理
この日私が採取した草は、スギナ、ツクシ、ヒメオドリコソウ、ユキノシタ、スイバ、スイカズラなど。
特にこの日はスギナとヒメオドリコソウが群生していたのでたくさん採れた。
いただいた野草のお食事がこちら。
山でとれた野草と、ほんの少しのオーガニック野菜、そして玄米によもぎ茶。
栄養価が高く、地球を消費しない、最高のお食事に心も身体も癒されました。何も犠牲にしなくても命を繋いでいけることを知る。
農耕を始めることで人に貧富の差ができたと言われている。苦労して自分で作った食べ物を人と平等に分け合うのは、それは難しかったことだろう。
でもこうやって山に入って自然に生えている野草を頂くなら、自然と人と分け合えたのではないだろうか。
自然の恵みに感謝するのが当たり前だったはずだ。
野草の天ぷら
摘み草の会を終え、摘んできた野草をさっそく天ぷらにしてみた。
スギナ、ヒメオドリコソウ、スイバの天ぷら。ドイツ人の夫も「いける!」と気に入ってくれた。
ヒメオドリコソウは、実はヨーロッパ原産で日本に帰化した植物らしい。もしかしたらドイツでも食べられているのかもしれない。
つくしごはん
ツクシは薄揚げと一緒に炊いてつくしごはんに。
独特の舌触りがあっておもしろい!春の味を感じられた。
都会の野草たち
摘み草の会を終えて大阪に帰ると、意外と街中にも野草が生えていることに気付いた。
私が住んでいるのは大阪の千里で、大阪万博のときに竹やぶを切り開いてつくったニュータウンなので、とにかく団地とマンションが立ち並んでいる。
私の住むアパートの花壇にもたんぽぽやスギナが生えているのが目に入った。それまではそこに「食べ物が生えている」ことに気付かなかった。一日の経験で目に映る世界が変わるんだから不思議なものだ。
摘んで食べるか、摘んで捨てるか
でも残念ながら、そのスギナがどんなにカルシウムを含んでいても、食べ物になることはない。除草の日に刈り取られ、ゴミ袋に入れられて燃えるゴミに出されるのだ。
アパートの「お知らせ」の中には、定期的に花壇に薬を散布するお知らせが貼りだされる。そこに生える野草たちは薬にまみれているのだ。
私たちが、自然の恵みを自分たち自身で殺してしまっている。
そして「オーガニックじゃなきゃダメだ」と農薬に反対する。
オーガニック野菜が大人気な今、私たちの自然の扱いも見直されるべきかもしれない。
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