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気が向くということ

たぶん四年ぶりに本格的に田んぼの草取りをした

息子を産む前は夫と一緒にやっていた作業

最近は「田んぼ、興味ない」「夫が好きでやってること」「私のやりたいことは他にある」

というなんとも冷たい態度で夫に接していた私だが、

あまりに今年除草が大変そうなのと

最近のパートナーシップの改善運動で

相手の気持ちを感じる様にしているせいか、

今朝ふと、

「午前中草取りいってこようかな」

という気になった。

私の中ではかなりレア

でもそう気が向いたのだ


夫は息子と一緒にいながらも体を休められると喜んでくれた

いざ田んぼに着くとさてどこからやるか、

抜いた草を畔に投げるか、田んぼに埋めるか

などあれこれ頭を働かせる  


でもね、入って試行錯誤して

ある程度流れをつかんでくると

だんだん考えなくなってくるんです

ただ目の前の草をつかみ、土に埋めていく

考えずにひたすら体を動かしているのが

だんだん心地よくなってくる


最初は違う波だったのが、そのうち田んぼの波に同調してくる

気が体にはいってくる感じ

ぼーっとする感じ


で、しばらくすると、これ稲なのか?

それともひえなのか?

わからなくなったんです

このひえという草、本当稲と似ていて区別するのが大変なんです

そこで昔の記憶を辿ったり、稲を触って感触の違いを感じたり

ここから田んぼを通してメッセージがポンポンとやってきたのです

田んぼ=人生の全体図

として受け取ってみました


✴︎わからないにフォーカスしているとどんどんわからなくなり結果前に進めなくなる。現在地にとどまっている状態

✴︎わからないながらも多少間違ってもOKで進んでいくと数をこなすからか、なんとなくわかってくる

✴︎そしてさっきわからなくて通過した場所も後ろを振り返ったり、

身体を起こして上から俯瞰してみると

ひえだ!と気づく。

列から少し飛び出していたりするから

いづれも見る角度を変えた為ですね

✴︎あれこれ考えながらだと進みづらくエネルギーも消耗するけれど

考えるにフォーカスしていないとき、
なんだかわからないけれどやっていくうちに直感でひえと稲の違いがわかるときがある

ただそれもそのうちまたわからなくなる

一度わかった感じになったからってこの先もずっとわかってる感覚だとは限らない

きっと人生もその繰り返しなのかなって感じました


休憩中、畔に腰を下ろして風になびく稲を見ていたら、

稲や草がぐんぐん育つような

普く存在しているエネルギーを感じたんです

そのエネルギーを私達の体も間違いなく受けている

子どもがぐんぐん育つのもそのエネルギーなのかなって

私の中にも絶えず流れ込んでいるそのエネルギー

それをね、頭で考えすぎて溜めたり出さなかったり滞った感じにしていたら(これは私の感覚だけど、自分の心が感じたり体の状態に現れたりするものだと思う)

きっとどこか不調だなって

不調って調和してないってことだからね

自然の流れとね


考え過ぎず、わからないながらも動きながらその場のエネルギーと同調してる感覚、

この時、一番田んぼの中で動けていたし、のっていた

虫たちの営みを垣間見て、

奉納で教わった神様に感謝する歌を口ずさんだりしてた

たまに田んぼの中で立って目を閉じて身体を休めていると、私と田んぼは感覚として繋がっていた


ただここにいる、感覚として在る

田んぼの場合、足がすねくらいまで埋まるから

同調しやすいのかもしれませんね

田んぼから出てアスファルトの道路に出た時、

違う世界に来た様に感じました


ちょいちょい息子を乗せて軽トラで見に来てくれる夫は

「出会った頃の様な素敵な顔してた、忘れてたよ」

ですって(笑)

その時の写真載せてみる^^


田んぼからあがった後も

まるで自分の体が筒の様に

エネルギーが入ってきて出ていっている感覚に


この状態が本当に心地よかった

胸のあたりがすーっとしている感覚

足はずっと中腰だったからぷるぷるしてたけどね(笑)

気が向いて田んぼに入ってみたからこそ感じた体感、

よかった、自分の心に従ってみて

不思議で面白いな、

田んぼで草取り瞑想、オススメします








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