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《春、汗.》

 汗をかいてしまいました。初夏のような暖かさのせい...と言いたいところなのですが。


 茶道の世界に足を踏み入れ、一年あまり。「お薄(うす)」と呼ばれる、基本のお点前(点て方)を朧げながらできるようになりました。自転車で言うなれば、補助輪つきでこげるようになったという具合でしょうか。


 このような中、先生がまた新たな課題をくださいました。「お炭(すみ)」です。その名の通り、炉に炭をくべるこのお点前。お釜のお湯が数時間沸騰し続けるよう、炭を寄せながらも酸素の入るスペースを持たせ、それも美しく配置するというのがこのお点前の肝となります。



 ところが、わたしの関門はそのずっと手前に。左利きのわたしには、右手でお箸を使えるかどうかが最大の難関だったのです。真っ黒の大小様々な炭を扱う道具は専用のお箸。お食事であれば、手元から口元までお箸を動かせばよいですが、炭の入ったカゴから炉までの距離はその三倍ほど。
 入門してまもなくわたしの左利きに気がついた先生が「お炭が大変ね〜。」とおっしゃていたことを身をもって知る日がついにきたのです。



 まずは、両手でお釜を持ち上げ、炉の中の炭と対面します。すでにここである程度の炭が燃えているという状態。それを活かしながら、新しい炭を配置していきます。ここで初めてわたしの持つお箸と炭がふれる瞬間がやってきます。火のついた赤い炭を一箇所にまとめるのですが、カツっと言ったはいいものの、お箸は見事にクロス。もう一度チャレンジすると、今度は炭を倒してしまう始末です。
 この身動きの取れない状態を打破すべくとった手段は「えいっ。」と言葉を添えながらお箸でずりずり押すこと。これには先輩方も大笑い。見かねてた先生が「火のついた方が下ね。」とわたしの手からお箸を鮮やかに奪い、綺麗に並べ直してくださいます。



 こんなふうにプロローグから、ひっちゃかめっちゃか。それでも、初めに入れる一番太い炭は手で掴んでもいいことにほっとさせられます。そんな安らぎも束の間、その太い炭を縦半分に割った形の炭を、割り口を下火に向けて置いたり、細いものを最初に入れた炭にかかるように置いたりと次々に試練はやってまいります。



 その度にわたしは、UFOキャッチャーをしているかのような気分にさせられたのです。「つかめた!」と思ったら、するりと落ちるあのもどかしさ。箸にも棒にもかからない「もー!」と叫びたいあの気持ち。炉の中に手を入れている時間の長さもこれに加わり、お着物の下でじわっと汗の滲むのを感じます。それでも、先生が文字通りの手直しをしてくださり、ようやく完成。先輩方の「右利きのわたしたちも、左ではとてもできないわよね。」の優しい励ましにもずいぶん救われました。



 汗のすっかり引いた頃、炉からお香の香りがふわりとしてきました。最後に、炭の近くに置いたお香がちゃんと火にふれたのだなと嬉しくなります。


 それにしても、このようなお稽古をさせてくださる懐深い先生には頭が下がります。ひとり違うゲームに興じるような新人にまで。また、この日用意してくださっていたのも大変に愛らしい「香合(こうごう)」=お香入れでした。



(お写真は、2023年3月18日に撮影しました「六義園」(東京)です。香合をのぞき。)

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