【日記】ロシアに想いを
イギリスの私の部屋には、日本から遥々持ってきた まっぷる「ロシア」がある。たまに、めくってみては、ますます想像がつかなくなった彼の地について考える、ことがある。
漠然と
ずっと、ロシアという国に行きたいと思っていた。高校3年生の時である。世界史をまるで物語のように楽しんだ私は、ロシアという国に強い興味を抱いて、ロシアに行ってみたいな、とぼんやり思っていた。
ロシア正教会や皇帝の歴史、共産党統治時代と、ロシアには長く、複雑な歴史がある。どこの国だってもちろん長くて複雑で興味深い歴史があるけれど、お隣さんなのにあんまりお隣さんの感じがしないロシアという国には、一度行ってみたいと思っていたのだ。
中国や韓国とは、領土問題がある。領土問題があるし、歴史認識の問題もあるから、従って嫌韓・嫌中と呼ばれるような敵対意識を持っている人がいることは問題が再燃するたびに話題になる。一方で、同じく領土問題があるロシアに対して、嫌露感情というものはあまり報道されないような気がして(私の気のせいかもしれない、人が見る世界は必ずバイアスがかかっているから)、そんなところも不思議に思っていた。
みたいと思っていた映画。
高校生
私が高校を卒業した年は、コロナが広がった年でもあった。私が高校を卒業してそこそこ時間ができてから去年の冬辺りまで、世界はコロナに圧迫され、ロシアへの旅行は叶わなかった。サンクト=ペテルブルグならそこそこすぐにいけるな、と思っていたけれど、そうは行かなかった。
まず、ロシアに入国するには観光ビザを取らなくてはならない。日本のパスポートは世界で一番訪ねることのできる国と地域が多いパスポートだし、中国人の友人と話していると、彼女たちの海外旅行のハードルの高さに絶望するのだけれど、日本のパスポートを持っていてもユーラシアの北半分に広がる大国には入れないのである。その上、結核の検査を受けたり、とにかく面倒なのだ。だから、コロナ禍でますます面倒を増やすのはやめようと思った。
戦い
その後時を経て、コロナが少し落ち着いてきた頃に、ロシアと英国の、もしくはロシアと日本の友好関係は失われてしまった。もともと日本とロシアが友好だったかと言われれば微妙だけれど、とにかく渡航は厳密に止めるように外務省から勧告が出ている。ロシアへの渡航中止勧告が出たのは、日本時間の朝2時くらいだったと記憶している。それだけ問題が深刻だったということだろうか。どういう仕組みで動いているのかは知らないけれど。
ウクライナ難民がどんどんと増加する中、戦争は短なものとなった。どこかで書いたかもしれない。授業を共にしていたロシア人の友人の、もしくはその家族のクレジットカードが凍結されていた。というのは、「失礼なことを聞くけど、クレカとか大丈夫なの?」と聞いたら、「今はイギリスの口座にお金があるけど、ロシアのお金はだめ」とのことだったのである。財政制裁を受けるということを目の当たりにすることになった。
同時に、ウクライナ人とロシア人だろうが、彼女彼らは戦争の始まる前と同じように同じクラスに同じ科目のクラスメイトして存在していて、ディベートをやったり笑い合ったりしていた。私がいるのは、英国のリベラルな大学であること、そして何よりも、戦争でも個々人が憎み合っているわけではないこと。
多様性への理解が生きるのは、多分そういう時だ。
ロシア語
英語とは全く異なるアルファベットを有するロシア語という言葉に憧れて、1年間ロシア語を履修した。先日のアーノルド・シュワツネッガー氏のショート・ビデオでは、ロシア語の字幕が出ている。字幕がちょっとだけわかる。ほんのちょっとだけだ。
言語を学んだ時に嬉しいのは、「その言葉で話している人」の生の声を覗き見できた時だ。外国に言って、つたなくても日本語で話しかけられたら嬉しいだろう。それと同じで、相手が相手の言葉で何を言っているかがわかれば、なんとなく世界が自分に近づいてきた気がする。だから言語を学ぶことは興味深い。
ソビエト旅記
高校を卒業してからか、佐藤優氏「15の夏」を読んだ。そこにあるのは、共産党統治時代のソビエト国を一人で渡った少年の記録だ。特定の国の特定の人に触れ合った記憶を「特定の国」の記憶として一般化しがちな姿勢は、私は賛成できないものがあるけれど、ロシアという国に対して、もしくは言語に対してできる限りの力とリソースを使って取り組んでいく15歳の少年の姿勢は、見習いたいと思った。だけれど、今のロシアは、どんな顔をしているのだろうか。
いつの日か、躊躇いなくロシア行きのビザを握れる日を待ち望んでいる。
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