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216.どんな縁も理由がある。相手に何をもらうかでなく与えられるか思案する

著・三松會 占心行動学塾長  脇田尚揮   ■LINE公式アカウント■
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人と人、会社と会社の出会いには“縁”があると言えます。偶然であったりご紹介であったりと意図は無いけど、その水面下で必然的に出会うべくして出会ったという繋がりを経験したことはありませんか。

仏教で言うところの縁(起)の意味は、この世のあらゆるものや現象、私たちの心でさえ“ 因縁 ”というあらゆる関係によって形づくられているとされています。縁起は縁起の法や縁起の理とも言われます。

例えば、私たちの身近な「おにぎり」で考えると、“因”とは直接的な原因であり「もみだね」を意味します。そして、“縁”とは太陽や水、肥料といった周りの環境のような間接的な原因を意味します。最後に因と縁が出会った結果である“果”が「米」。

米ができるには米を助けるものである日光や水が必要であり、もみだね単体では米はできません。因と縁が結びついて、初めて「因縁和合」とされ果である米が生じます。このようにあらゆるものも現象も、色んな直接・間接的な原因、つまり“因縁”があって今ここに存在しています。この絶対的なルールのことを“真理”と言います。

そしてこの縁をもらった時にどう育てるか、それがあなた自信の魅力になるのです。そこで大切なのは“自利”と“利他”の発想。自利とは自らの幸せ、利他とは相手の幸せを意味します。これを併せて仏教では“自利利他”と表現します。

そして利他(相手を幸せにすること)が、そのまま自利(自分の幸せ)になることを「自利利他円満」と言います。相手の幸せを思いやってかけた利他の言葉や行動は、必ず自分自身に思いやりとなって返ってくるものであるということです。

縁をもらったからと何かをしてもらうことを望むのではなく、こちら側から与える(利他)することで真理「自利利他円満の“縁”」が回り始めるのです。

Q.あなたは偶然の“縁”を感じたことはありますか? また、自利利他円満の経験はありますか。


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