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「そんなに書きたい企画なら、自分のブログにでも書けよ」

先日は企画のセミナーでもありがとうございました!そういえば…と、企画に関して昔僕がされた思い出深いフィードバックがあったので、ご紹介したいと思います。

▼プロとして「書く」意味

あれは、記者として働き始めて半年ほど経過し始めた頃でしょうか。

当時の僕は、徐々に1日のルーティーンも慣れてきて、先輩記者からの赤入れも段々と少なくなってきた時期。「自分でネタを探して書く機会」が増えていくにつれ、取材を通じてたくさんの人の思いにふれたり、「これは社会問題だ!」と思う光景を数々目にして「記者としての使命感」みたいなものを抱き始めていました。

そんな時、ある企画書をを提出したら編集長に言われたのです。

「そんなに書きたきゃブログに書けよ。媒体でうちの読者に発信する意味を考えろよ」

と。

その企画は、テーマ自体に大きな問題があるというわけではありませんでした。

ただ、「媒体にとって、『あってもなくても良い企画』」だったのだと思います。厳しい言い方をすれば「ちょっと現場に詳しいくらい若造が、仕事で現場を見聞きして使命感で物を発信しようとしただけ」。編集長が言いたかったことが、今はすごくよくわかります。

世の中は、社会問題だらけです。

本来、「伝えるべきこと」「知るべきこと」が本当にたくさんあるこそ編集者は、「その中から今知るべきことをピックアップする」という視点を持たなければならない。その基準は社会性であったり、読者のニーズであったり、媒体の目指すべきビジョンだったりと様々ですが、その基準にのっとらず単に「自分は今これが問題だと思った」と言うだけで鼻息荒く企画書を提出しているようでは、プロとして失格なのです。

本当にそれが読者にとっても重要だと思っているなら、「なぜ広く知られていないのか」「興味を持たれないのか」に対しても向き合い、工夫をしたうえで企画書に反映すべき。当時の僕はそんなことも考えず、単に「これが問題だ」と正論ぶっぱなすような企画書を平然と提出していました。
どういう切り口から伝えたらもっとたくさんの人に届くのか、構造的な原因は何なのか。そこまでかみ砕いた上で企画として提出していかないと読者には響かないし、物事も動きません。そんなことを教えられた一言でした。


当時から立場は変わり、現在僕は、「人の企画」をチェックする立場に回ることが多くなっています。

そういうときも正直、「この企画は、この人が見える範囲の問題意識からしか考えられていないな」というものも多々あったりします。
「あってもいいし、なくてもいい」というレベルであれば教育目的であえてGOサインを出すこともなきにしもあらずですが、本来的には、あらゆる問題を把握し、また構造的な問題を理解した上でその問題に切り込んでいくというのが読者規模の大きい媒体においてプロとして記事を書く人のあるべき姿だよなとは思います。

▼「ブログに書けよ」は悪い言葉ではないとも思う


ただ、ここで一点だけ強調させていただきたいことがあります。

僕が「ブログに書けよ」と捨て台詞のように言われた2010年当時と現在とでは、ネットメディアの環境も大きく変わりつつあるということです。もちろん、たくさんの読者を相手にする規模の大きなウェブメディアであれば、上述したような姿勢こそ「プロ」だとは思うのですが、SNSも充実し、noteみたいなプラットフォームもできている今は、「ブログにでも書けば、その問題を知りたいと思う人、共感してくれる人とダイレクトにつながれる」のが現在なのです。

だからこそこのnoteでは「そんなことお前のブログに書けよ」と言われるようなことを正々堂々、どんどん発信していきたい。一方、最大公約数的なことは自社のメディアを通じて広く社会に訴えていきたい。一発信者として、そんなふうに思っています。

SNSの活用術は人それぞれですが、一連の発信を通じて、読者の方々が前向きな気持ちで、日常を暮らせるようになると嬉しいなと思ったりしております。そんな感じです。

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