最高傑作を求めて ~武山智史さんが見つめるその先~

 8回。1時間半の講演で武山智史(さとし)さんが「勉強になった」という意味の表現をした数だ。

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                     (写真:筆者撮影)

 武山さんは、高校野球を中心に取材をしているカメラマン兼ライターだ。

 高校時代からスポーツライターに憧れ、高校卒業後は日本ジャーナリスト専門学校、スポーツマスコミ講座、日刊スポーツ写真部のアルバイト、スポーツライター塾と、ライターになるための環境に身を置き続けてきた。

 スポーツライター塾を修了後、講師だった小林信也さんに弟子入り。小林さんの出演するラジオ番組のリサーチやテープ起こし、取材アシストなどを行っていた。

 ある日のこと、撮影した写真を見た小林さんからこう言われた。「君は長い原稿は書けない。カメラマンをやりなさい」。

 それを機に、カメラマンをメインでやっていくことにした。

 カメラマンとして、試合でのプレーはもちろん、ベンチでの様子や選手の表情を観ることはできる。ただし、そのすべてを撮ることはできない。どこかに絞らないといけない。ところどころで選択を迫られる難しさを感じた。

 撮り始めは、感情はニュートラルだ。一つの場所で定点観測をし続けているうちに、気づけば「なんかコイツ気になるな」「ここが変わったな」という感情に変わっている。撮っていて「楽しい」と感じる瞬間もある。

 最近、武山さんが読んだ週刊誌の連載『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか(著 鈴木忠平)』のなかで、落合博満氏が「ある一つの場所でずっと選手を見ている。そうすれば、何かが見えてくる」と言っていた。まさに、それと同じことだった。

 武山さんは、こうも言う。
 「現在上映中の高校野球ドキュメンタリー映画『甲子園 フィールド・オブ・ドリームス』を観て、『撮ったものが自分の視点であり個性だ』と監督の山崎エマさんから聞き、目からうろこだった。以来、そこを手掛かりに取材をしていこうと決めた」

 変化を感じたことや撮影したものが取材の糸口となる。それをもとに話を訊いてみると、そこにはライバル対決や後悔した瞬間、大切していることなどのストーリーがあり、描写が広がっていく。

 新型コロナウィルスの影響により、例年行われている公式戦の多くを奪われてしまった2020年。各都道府県で高校野球の独自大会が開催された。武山さんは新潟県の決勝戦・中越対日本文理の試合を取材した。

 試合後、勝利した中越側でシャッターを切っていた。だが、日本文理の選手がどのような表情をしているのかが気になり、日本文理側にレンズを向けることにした。

 優勝インタビューが始まると、負けた日本文理の選手たちが優勝した中越の選手を拍手で称えはじめた。まさに「スポーツマンシップ」に力を入れている新潟を象徴するシーンだった。「報知高校野球」9月号の新潟独自大会のページにて、その光景を記事にした。

 これには市川崑監督の名作『東京オリンピック』を武山さんが見て、印象に残ったことが生かされていた。

 記録映画のように思われがちだが、アスリートの内面を描いていること。喜ぶ選手の表情をフォーカスしがちなところで、ベンチの監督をずっと撮り続け、喜びをかみしめている表情を映し出していたこと。

 この映画を見て、「写真の撮り方や選び方次第で、取材の仕方や聞き方が大きく変わる」と実感した。

 こうして本や映画からの学びを、取材に生かしている武山さんにも、今でも悔しくて忘れられない出来事がある。

 ある仕事で、尊敬して止まないプロ野球の二軍監督へ1対1の取材をしていたときのことだ。言葉が足りずに相手の誤解を生みインタビューが即中止となってしまった。「この世界でもう仕事できないな」と後悔は止まらなかった。
 
 この経験から、「生半可な準備はできない」と痛感。相手がどんな状態なのかをしっかりと知っておこうと努めるようになり、球場には練習開始の30分前に入るようになった。
 
 現在は、「聞けるところまで全力で聞き、撮れるところを漏らすところなく撮る」という考えの下、メモを取ること以上に、相手の表情を見るように心がけている。だから、取材前に聞きたいことを全部頭の中に入れるようにしているし、相手が面白い話をしたと思ったら、そこを掘り下げるようにしている。

 スポーツライターを目指し始めた時からの積極性と、多くの人や本、映画などから学ぶ姿勢。加えて、撮影を重ねることで「もっとこうしたら、こうできたのに」という貪欲さも芽生えている。武山さんは言う。

 「これまでにベストな写真を撮ったことは一度もない。『喜劇王』と呼ばれた俳優のチャップリンは『最高傑作は?』と訊かれて、『NEXT ONE』と言った。それと同じで、『次の一枚』の精神ですよ」

 武山さんが、自分自身に「これこそが最高傑作だ」と殊勲賞を与えた時、どれだけ多くの人がその作品に魅了されているのだろう。

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