「祝祭と予感」「羊と鋼の森」を読んだ日

先週読んだ「蜜蜂と遠雷」から分かりやすく影響を受けて、この2冊を読んだ2週間でした。

・天才たちの未来と過去

恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」のスピンオフ、「祝祭と予感」、また主人公達やその周りの人々に会えて嬉しかった!

また彼らに、会える。待望の『蜜蜂と遠雷』スピンオフ短編小説集!
大好きな仲間たちの、知らなかった秘密。
入賞者ツアーのはざまで亜夜とマサルとなぜか塵が二人のピアノ恩師・綿貫先生の墓参りをする「祝祭と掃苔」。芳ヶ江国際ピアノコンクールの審査員ナサニエルと三枝子の若き日の衝撃的な出会いとその後を描いた「獅子と芍薬」。作曲家・菱沼忠明が課題曲「春と修羅」を作るきっかけとなった忘れ得ぬ一人の教え子の追憶「袈裟と鞦韆」。ジュリアード音楽院に留学したマサルの意外な一面「竪琴と葦笛」。楽器選びに悩むヴィオラ奏者・奏に天啓を伝える「鈴蘭と階段」。ピアノの巨匠ホフマンが幼い塵と初めて出会った永遠のような瞬間「伝説と予感」。全6編。

やっぱりどれも素敵なスピンオフだったけれど、どれが好きだったか強いてあげるとするなら「竪琴と葦笛」かなぁ、、
真っすぐなナサニエルが一人の大人としてマサルに接する様子から、元々好きなキャラクターだったマサルがどうしてナサニエルを師事したのか、納得のいく物語でした。素敵な大人とマサルは出会って、そのまま素敵な関係性を作れているのが羨ましい。
他にも、「袈裟と鞦韆」(これは好きだったけれどかなり心が苦しくなった)、「伝説と予感」(塵の天才ぶりが余すことなく描かれていて非常に良かった)も個人的に好きでしたね。


・才能とは、才能を越える何かとは

映画は見たことがあったけれど、原作は読んでいなかったピアノの調律師の物語、宮下奈都さんの「羊と鋼の森」を読んだ。

ゆるされている。世界と調和している。それがどんなに素晴らしいことか。
言葉で伝えきれないなら、音で表せるようになればいい。
「才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。(本文より)」
ピアノの調律に魅せられた一人の青年。
彼が調律師として、人として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説。

あらすじにも書かれている、「才能」について多く描かれている物語でした。
主人公の外村が、自分には才能が無い、調律を上手くできるようになるにはどうしたらいいのだろう、どれ程努力を重ねれば、憧れの人の調律に辿り着けるのだろう、と悩みながら目の前の1つ1つのピアノと向き合う姿がひたむきで、社会人としてまだ若手の自分にも響くものがあったな。

私は、少し皮肉屋で、でも誰よりも冷静に「自分の調律」をこなす秋野さんが好きだった。

「才能がなくたって生きていけるんだよ。だけど、どこかで信じてるんだ。一万時間を越えても見えなかった何かが、二万時間をかければ見えるかもしれない。早くに見えることよりも、高く大きく見えることのほうが大事なんじゃないか。」

一通りのことができるようになるまで、吸収するのに必要な一万時間。その一万時間を越えた後、残ったことは自分には才能が無いということだったら、と気づきそうになるとき、この秋野さんの言葉が意味することは大きいな。
自分には才能がなかったと認め、明確なリタイアを一度経験した秋野さんの言葉は、それでも現実を生きていく、好きなことに向き合っていく人には温かい言葉が多いように見えました。


以上!おしまい。

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