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災害研究者が新型コロナウィルス感染症について考えてみた(12)コロナ禍中の総裁選・衆議院選挙で日本は適切なリーダーを選択できるか

菅総理の総裁選不出馬が明らかになり、自民党は新たな総裁を選択することが明らかになった。

コロナ禍が続く中で2年連続で総理が交代することは、諸外国に比しても異例の事態と言える。
党内で予期していなかったこともあるだろうが、新総裁候補に名乗りを上げる議員が乱立しつつある状況になっている。
さらには、衆議院選挙を意識して、野党も政権奪取に向けてアピールを始めている。

しかし、
与野党いずれのリーダー候補に共通して言えることは、
「長期化するコロナ禍に対する戦略的な政策対応はどのようなものか」十分に提示できていないように思われる。

コロナ禍への政策対応のディテールに関する議論が盛り上がらなければ、
議員個人や支持団体のイデオロギー、公正・公平な社会のあり方、再分配を巡る経済政策、経済成長に向けた戦略の違い等、
個別の政策項目に即して有権者は判断しなければならない。

ただ、こうした個別の「平時の政策」を主な評価対象として政治的リーダーを選出しても、
そうしたリーダーが効果的なコロナ対応を行うとは限らない。
さらに言えば、「戦略的なコロナ対応」の中には、こうした平時の課題も含まれなければいけない。
果たして大きな絵を描いて語ることができるリーダーは誰なのか、有権者は慎重に見極める必要があるだろう。

そこで、
総裁選や衆議院選挙までに、各候補に提示してもらいたい政策項目について幾つか提案してみたい。

1.「感染症管理サイクル」に基づく戦略的なコロナ対応の提示を

災害管理サイクルに基づいて今回の新型コロナウィルス感染症を見据えるならば、
いわば、「感染症管理サイクル」とも言うべき政策対応の全体像が求められることは、
これまでにも繰り返し述べてきた。

感染症管理サイクルには、(1)緊急対応、(2)復興、(3)減災、という3つのステージが含まれる。
各ステージの政策目的はおおよそ以下の通りである。

(1)緊急対応
・新型コロナウィルスの感染収束の確認とそれに向けた政策対応(例:ワクチン接種やPCR検査の拡大、ロックダウン等)
・感染患者への十分な治療資源の手配(例:軽症・中等症・重症患者へのレベル別の医療資源の準備、新たな治療法の開発等)
・感染拡大防止のための資源の手配(例:休業補償、失業・減収が大きい者・非正規雇用・フリーランスの者への経済的支援、社会的弱者や自営業者への支援、最低限必要な社会経済活動の維持の範囲に関する社会的合意の形成等)
・次の(2)復興のステージへの移行に向けた社会環境の整備(例:客観的なデータに基づく感染収束の確認、仮に感染が再拡大した場合の収束シナリオの開発、およびその実施・終了の基準の策定と社会的合意の形成等)

(2)復興
・コロナ禍で家族や仕事、生活を失った人々の生活再建に向けた長期的な支援、また精神的負担や健康への不安を含めた心理面への長期的なサポートに向けた制度構築(例:生産年齢人口に対する経済的支援の検討、グリーフケアへのアクセス拡大とその経済的負担の免除、寄り添い型の公共サービスおよび専門人材の育成・活用、生活困窮に陥る前段階での現金給付も含めた経済的支援の構築等)
・短期的な財政政策に頼らない(例:Go toキャンペーン等)持続的な経済的復興に向けた社会・経済構造の転換に向けた政策対応の検討(例:コロナ禍の中で培った生活・商習慣の定着と旧習の刷新、住環境や地域生活のあり方の再検討、今後の都市・環境のあるべき姿に関する議論、新産業の創造に向けた政策、環境政策と経済政策の調和等)
・次の(3)減災のステージへの移行に向けた社会環境の整備(例:今後の日本社会に関する具体的なビジョンの開発と社会的合意の形成の確認、調和の取れた包括的な経済政策・環境政策・公共政策・科学技術政策・情報通信政策の構築、経済的・社会的弱者の包摂や再分配政、不確実性が増す将来に向けた社会的多様性の向上に向けた具体的なアクションの計画等)

(3)減災
・将来のパンデミック再来に備えた制度と法律の策定(例:専門省庁の設立、専門家人材の育成と活用に向けた政府の職務と規模拡大、市民社会との連携に向けた政府と非営利団体や非政府組織との関係構築、健康保険制度や社会保険制度の拡充と改定、医療従事者および医療施設の供給のあり方の再検討等)
・感染症に関する基礎知識や対応策、それを取り巻く制度や公共政策全般に関する教育の推進(例:中等教育までにパンデミックとパンデミックに対する政策対応のメニューとその根拠となる法律や制度の概要についての専門講義の義務化等)
・感染症や自然・技術災害も含めた包括的な危機対応の研究機関の設立(例:独立した財源と事務局を持つアカデミアと実務家が共生するシンクタンクの設立等)

現在のところ、
与野党の総理・総裁候補とも、選挙や総裁選に向けた議論で言えば、上記項目の(1)緊急対応の内容の一部に終止している。
いわば目先の対応に終止している。
目先の対応が重要でないということではない。
むしろ、目先の対応は、その次のステージへの基礎を作る作業であるから、
先々のステージから逆算して目先の対応を決めるという長期的な視座を有しているかどうかが問われている。

2.将来の日本社会のあり方に関する議論を

今回のコロナ禍では、東日本大震災でも起こり得なかったような、
「日本社会全体での社会・経済活動の停滞」
という未曾有の事態に直面することとなった。

これが緊急事態宣言を含む人為的な対応に依るものであったのか、
猛烈な感染力を持つ新株の存在によるものであるのかは別にして、
この経験は日本社会に対して厳しい問いを突きつけたように思う。

それは、
「日本社会が重視する価値はなにか」
ということだろう。

例えば、
コロナ禍の拡大初期においては、未知のリスクへの恐怖が先行し、
戦後初の緊急事態宣言への反対論はあまり見られなかった。(むしろ権力の座にある政治家の方が躊躇していた)
しかし、次第にコロナ禍が長期化する中で、「経済活動の停止にも相応のリスクがある」という声が高まってきた。

多様な声が上がってくる事自体は、何の問題もない。
むしろ、様々な声の中から、政治がどの主張を取り上げるのかというそのプロセス、根拠や説得の提示が問題となる。

究極的に言えば、
「少数のために全体で負担を被るべき」なのか、
「全体のためには少数の犠牲もやむなし」なのか。
という選択を突きつけられているようにも思える。

ワクチンや治療薬もない中で、未知のリスクを前に社会・経済活動を継続するということは、
感染患者やその家族、また医療従事者に対して相応の負荷をかけてでも、「日常を続けることを演じる」ことに価値をおいていると言える。
反対に、ニュージーランドのように頻繁なロックダウンを行ってでも、市民の生命・身体を守るという判断もあり得る。

この場合、
「どちらが正解か。」というよりも、
「どちらをより重視した対応を行うのか、その理由はなにか。」が説明されることが重要だ。
そこに、日本社会が重視する価値が表現されているからだ。
問題があるならば、そうした価値判断を下した政治体制を変更すれば良いし、
受け入れられる主張や根拠が示されるならば、社会的混乱も広まらないだろう。

しかし、
安倍元総理も菅総理も、
こうしたシビアな価値判断については、明らかにしてこなかった。
目先の事態の変動に対して、消極的に政策対応を変更せざるを得ない理由を説明するに留まった。
(もっと言えば、2021年への東京オリパラの延期およびその実施は、こうした価値判断をより曖昧にさせる効果があったと思う)

こうした機会を積み重ねてきたことで、
「日本は一体何を重んじる社会であるのか」について、
国民的な議論を実施する機会を失ってきたことは、大きな損失だったと思う。

戦後以降、
日本は経済復興に専心する時期が長かったが、
その内に、経済成長に向けて社会の力を結集すること自体が目的化し、
経済発展によって何を実現したいのか、
日本社会における公正公平の価とは何か、
家族や人権について日本はどう向き合うのか、
国際貢献や同盟国との関係をどう考えるのか、
市民と政治、行政の関係はどうあるべきなのか、
世代間・階層間の意見の食い違いをどう妥協させるのか、
様々な難しい問題に関する議論を先送りにしてきた。

だが、
「感染症管理サイクル」において、どのような戦略を描くのか決めるためには、こうした問題への議論を始めなければいけない。
日本社会の将来像に関する具体的な議論を通じて、市民との対話を行い、社会的合意を取り付けない限り、
いつまでたっても、戦術的ディテールに関する「総論賛成、各論反対」が発生し、全体戦略を決定することができないだろう。
議論が対立した際に、政策を決定するプリンシプル(原則)が無いからだ。
(有権者の顔色を伺うことは、プリンシプルとは言わない。)

菅総理の任期がもう限られたこの段階で、
今からこうした大きな議論を最初から始めなければいけないことには、無力感が付き纏う。
しかし、僅かでも歩を進めなければ、目的に近づくことがないのも事実だと思う。

一人の有権者としては、
記者会見や報道で目も当てられない対応を繰り返す政治家たちを見て、
我々もそれにふさわしい同格の存在だということを肝に銘じつつ、
慎重に選挙における権利の行使について検討したい。



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