福富町 黒服時代③


お店が12時に終り、帰宅するの大通りに出てタクシーを拾うのだが、バブル期の為なかなか空車のタクシーが停まってくれない

タクシーの運転手も三、四人のグループでネクタイを締めていないと停まってくれません。多数グループだと一人一人家に帰るので長い距離を運転するので、自然と運賃が上る上がる為です。

いつも一人で帰る私は、指と指の間に一万円札を挟み、その手を挙げてタクシーを拾っていました。

暮れになると、忘年会帰りの客が多くて福富町は酔っ払い客でタクシーを停めるのにごった返していました。

私はタクシーで帰るのを諦め何回か歩いて帰りました。帰り途中に黄金町を通らなくてはいけない為、赤線地帯を通ります。

チョンの間(赤線地帯のお店)はその当時20分で一万円でした。今赤線が残っているのは飛田新地位でしょうか?

一階の飲み屋で交渉して成立すれば2階に上がり女の子と事を致すわけです。

お店により女の子の年齢層も様々でした。まだエイズも流行ってなく、何処の店も日本人だけでした。後々東南アジア系の女性が多くなったのでした。

飲み物は何を飲んでも一律500円でした。値段は黄金町飲食組合に加盟している店はどこも500円でした。

続く

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