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鳥の詩

役者さんの歌う歌が好きという話を書いたときに名前をあげ忘れていたが、杉田かおるさんの歌声も好き。歌ってはみたけれど、これはやっぱりあの楚々とした歌声でないと気持ちよく聴けない。高い声で歌おうと低い声で歌おうと自分なんかの声ではだめだ。

最近になって聴いたのだけど、三浦春馬さんの歌声も好きだ。ゆずの「からっぽ」という歌をうたうのを聴いた。艶のある声でとても良かった。まっすぐでぐっと来た。

「からっぽ」といえば、加藤剛さんがインタビューで「役を演じる」という行為について訊かれ、このように答えている。

自分の中に役が入ってきてもらいやすいように、自分自身をからっぽにしておくよう心がけています。その役に対応できる柔軟性をもった体にしておくということですね。

「からっぽ」になることが大切だそうだ。

どうしても『自分』というのには『自分なりの考え方』というのがあるでしょう。その一方で、役としての考え方がもう一つある。これがぶつかり合うことがあるんです。そうならないためにまず自分をなくし、その上で役に入ってもらうわけです。

僕が役者の人の歌声に惹かれるのは、こういうことなのかもしれないと思った。

自分で書いて歌っているとどうしても、「自分は」「自分が」とあたりまえのように主張してしまう。他の人の書いた歌を歌っていても、つい「自分なりに」歌おうとしてしまう。自分を「からっぽ」にして歌えるようにならないといけないということなのか。

生まれ持った声質の問題ではなく、このような取り組み方の問題であるとしたら僕なんかでもどうにかなるかもしれないという希望はわいて来るが、はて、そのためにどういう練習をしたらいいものか。そのアイデアはからっぽである。

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