見出し画像

さよならヘンリー・キッシンジャー  或る近視眼の「国際戦略家」への追悼

2024年1月1日 Newleader

毛沢東でさえ心配するほどに

 「日本は毛沢東の協調戦略において、主要な構成要素になることになっていた。一九七一年の秘密会談で、中国の指導者は日米が手を結んでいるという見方に、依然、かなり疑念を抱いていることを表明した。周恩来は日本に気をつけろと警告した。日本が経済復興し米国に挑戦する立場になれば、既存の友好関係は弱まると指摘した。一九七一年一〇月に周は、日本は『翼の羽が厚くなり、今にも飛び立とうとしている』と強調した。私は、日本が米国と同盟関係を結ぶなどといったことをせず、国際秩序に取り込まれないまま孤立すれば、よりいっそう難しいことになると答え、ニクソンも自らが訪問した際にその点について詳細に説明した。一九七三年一一月のわれわれとの会談で、毛は米側の見解を了承した。彼はその時点で、日本により注意を払い、日本の指導者との親交を深めるため、より多くの時間を割くよう私に要請した。」(ヘンリー・キッシンジャー「中国」)。

 あまり惜しくもありませんが、昨年(2023年)11月29日に100歳の長命の末、逝去したヘンリー・キッシンジャー元アメリカ国務長官の回想録の中の米中国交回復交渉時の日本についての言及の一節です。どうでしょう、一読して。なんとも筋が見えない文章ですね。すこし補助線が必要のようです。

 1971年7月に、キッシンジャーは秘密交渉のために訪中し、中国からのニクソン大統領への訪中要請、アメリカ側の受諾と続きます。いわゆる「ニクソンショック」という奴です。翌72年2月、ニクソン訪中。このことを跨いで73年11月の会談なのですが、キッシンジャーは、その間の事情もやりとりも、すっ飛ばしているので、米中急接近と日本の関係性が読み取れなくなっているのです。

 実は、この回想録の日本語版の解説で、このコラムでも何度か登場している松尾文夫・元共同通信ワシントン支局長が、アメリカの公開外交文書の全文を当たったところ、この一節の最後にある「……日本の指導者との親交を深めるため、より多くの時間を割くよう私に要請した」のくだりの背景は同年2月の毛沢東の次のような発言だったと明らかにしています。

 「あなたは日本経由で帰国すると聞いているが、日本では彼らともう少し時間をかけて話すべきではないか。一日だけというのは彼らのメンツを傷つけるのではないか」。

 ニクソン訪中直後のこの段階で、毛沢東の目にも心配になるほど、アメリカ、というよりキッシンジャーが明らかに日本を邪険に扱っているように映ったということです。

悪意でしょうか、悪意ですよね


 1969年の国境紛争で、中国はソ連を明確に戦略的脅威と見做すようになります。それを察知したニクソン政権は、中国への接近を図ります。アメリカも当時、ベトナム戦争が泥沼化しており、北ベトナムの最大支援国、中国との国交回復によってベトナムからの撤退の道筋を付けようと目論んでいました。それが上記の文の冒頭に繋がります。従来、中国の懸念に対し日米安保が日本の軍国主義復活を抑え込んでいるという「瓶のふた」論を説明したと言われてきました。ですが、この回想録では、中国にとっても日米安保が対ソ連抑止力として最重要であると説得したとあります。それ故、最後には毛沢東はアメリカに邪険にされた日本がソ連に奔ることを極端に警戒するようになったわけです。

 この日米安全保障体制のくだりもすこしおかしいですよね。ここに書かれた中国側の懸念は日本軍国主義復活ではなく、経済的に復活した日本のアメリカへの挑戦の可能性です。反間戦術かも知れませんが、これは本来アメリカ側の懸念であるはず。キッシンジャーが否定していないことに注目すべきです。これは米中の共通理解だったわけです。1969年の沖縄返還交渉で交換条件だった日米繊維交渉への不満から、ニクソン政権の対日感情は悪化したと言われます。ですがここにあるのはそんなちっぽけなものではなく、押さえ込むべき脅威という認識です。

 早くも1971年6月に締結された沖縄返還協定で掌返しされます。アメリカは突然、尖閣諸島の日本の領有権について触れることをやめました。翌7月がニクソン訪中発表。この時期、中国が突然、尖閣領有権について主張してきたことに配慮した結果です。キッシンジャーにとって、中国は世界戦略の重要なパートナー、一方、日本は踏みしだいてもついてこざるを得ない下駄の雪。対中関係優先を理由に堂々と押さえ込みに転じます。80年代の経済摩擦、90年代の同盟漂流と繋がる日米関係険悪化のスタートでした。

 もちろん日本も指をくわえていただけではありません。アメリカを追い抜く勢いで中国接近を行いました。そして改革開放以降、日米(と欧)で対中支援競争となり、その結果、こちらこそ封じ込めなければならないレベルの怪物級の覇権国家を生み出してしまいました。

 キッシンジャーは、この間、中国から「老朋友」と呼ばれるほど共産党政権大発展のために奉仕し続けました。彼は、リアリズムの国際政治学者として、戦略家として名声を博してきましたが、どうでしょう。結局、ニクソン政権時代の閉塞状況突破のため、やることはデカかったけど、より剣呑な未来を生み出してしまいました。今になって、アメリカも、日本も、中国共産党権力の専制強化、軍事的圧力を使った帝国主義的拡張志向に極度の警戒感を抱くようになりました。この歴史の結果を見る限り、キッシンジャーには全くの近視眼という位置づけしか用意されてないようです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?