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世間では大絶賛のホラー映画『呪詛』、が個人的にあんまり面白くなかったという話 ※ネタバレ注意※ 

先日の7月8日よりNetflixで台湾ホラー映画『呪詛』が配信開始されたということで視聴してみた。
台湾では3月からすでに劇場公開がされており、「今までで最も怖い台湾ホラー」として歴代ホラーの興行収入を塗り替える記録を叩き出し、いくつかの映画賞も獲得したという。日本でも去年あたりから、先行トレーラーなどの出来から話題になっており、私自身も公開を楽しみにしていた。

こちらの予告編から見ても分かる通り、『呪詛』は東洋の仏教系宗教と、そこから発生した呪いを作品の下敷きにしている。大陸系のホラー作品は、日本人の宗教観が大陸と密接な関係を持っているため西洋ホラーよりも馴染み深い描写が多く、また昨今中国・韓国・台湾の映画業界が勢いを増していてクォリティーも上がっているため、日本人受けの良い良作ホラーを連発して発表している。90年代に一大ブームとなっていたジャパニーズ・ホラーのお株はだいぶ奪われてしまった感じがあり、それについては日本人である自分としては少し悔しい気持ちも抱きつつも、昨今良作を連発している大陸系ホラーの中でも最高傑作と言わしめられた本作をかなりの期待込めて観てみたのだが―――。

正直なところ、全然面白く感じなかった。

かなり序盤の方から違和感を覚え始め、それから視聴している間「一部の人が大げさに言ってるのが目についただけなのかな?ちゃんと感想を掘ってみたら酷評だらけ」と思ったのに、実際はほとんどの人が評価をしていたので驚いた。
私はそれなりの数のホラー映画を好んで観ているタイプの人間なので、ホラー映画独特の文脈が理解できなかったとか、そういったことはないと思う。では何故私の評価と世間の評価が乖離してしまったか。今回はそれを少し考えてみたい。

■『呪詛』最大のギミックの不発

私が世間の評価とギャップを感じる感想を持ってしまった最大の原因だと考えているのは、いきなりのネタバレになってしまうのだが、この映画に仕込まれた「観たら呪われる」系のギミックが影響したと思われる。この『呪詛』は、この映画を観た者が呪われるように作られた呪い発生装置である、つまりこの映画自体が悪意あるものの「呪詛」である、ということが最終盤に明かされる。
そして、SNS上にはそういうギミックを知った上で面白がって「何も言わずに観てください!」という風に拡散するタイプの人が一定数存在していたのだろうと思う。実際、普段私が参考にしているホラー映画系の有名Twitterアカウントの人も似たような宣伝を行っていたは視聴前に見かけていた。
こういう半分騙しのようなムーブ(『ミスト』を感動系映画と言って紹介する類)自体は賛否両論あると思うのだが、実際の映画の出来と世間の評価でこんな風に少なからず乖離ができてしまうのはよくない部分だなと思う。

またさらに、この「観たら呪わえる系」のギミックが明かされるのは映画の最後の最後であるのだが、その構図に私が最初から気付いていていたのもこの映画をあまり評価できなかった要因でもあると思う。結末に至るまでも数多くのホラー描写があったのだが、とはいってもこの映画における肝がこの「実は今まで自分は呪われていた」という種明かしにあることは間違いないだろう。それが少なくとも私にとっては不発になってしまったことは、この映画の評価を大きく下げる一因にはなっただろうと思う。

■騙そうという気概が見えない「演出」

こういった部分が、私が素直に『呪詛』を評価できず、世間との評価が乖離してしまった理由であろうと思われる。しかし、前知識なくこの映画を観たところで、世間と同じように高評価を出していたかと言われると、正直疑問である。
実際のところ、私はあまり映画の結末を先読みするタイプではない。にも関わらず、かなりの序盤でこの映画のギミックに気付いてしまったのは、この映画の演出に甘さがあるからだと思うからだ。
具体的にいうと、この映画内ではある祈り(ポーズや呪文)は、当初この映画の登場人物である少女を守るためのものなのでぜひ視聴者の方にもやってもらいたいという体で拡散されているのだが、明らかにその祈りから不穏な雰囲気しかでていないのは正直演出ミスじゃないかと思う。
これがもうちょっと巧妙に視聴者を騙そうとしていれば、私も気付かずに最後の種明かしに驚いたり、何が何でも視聴者を騙そうとする製作者の悪意自体に恐ろしさを感じることができたかもしれない。あるいは、仮にそれが不自然であったとしても、製作者が騙そうとしているように見せていられたら、その違和感が映画のいいスパイスになったであろう。しかし、ここまであからさまな「不穏な祈り」が、少女を守るためのものと言われても説得力は大いに欠くと個人的には感じる。

また他にも、POV系(映画内の登場人物が自ら撮影している体の映画)にも関わらず、やたらカメラの台数が多く、POV系の最大の利点である「実際に起こった感」を出そうとする気概が見られなかったことも、私の中では結構なマイナスポイントだった。個人的には、この欠点は映画全編を通して存在しており、視聴中に「え?この映像は誰が撮っている映像なの?」「なんでこんなところにカメラが設置されてるの?」ということが気になってあまり集中できなかった。POV系ではその特性上、ある程度のカット割りを犠牲にして行われるものである。もしかしたらPOV系の利点と、カット割りを多用する利点を両取りする意図があったのかもしれないが、今回の「視聴したものを呪う映像を作成し、拡散しようとする悪意」を主軸に置くのであれば、徹底的なPOVの良さを追求するべきであったと、私は思う。


■お互いが噛み合わない素材

更にストーリーラインついても少々指摘をしたい。
この映画は各所で撮影した映像を時系列入り交じらせて並べているのであるが、その演出が何を狙ったものなのかいまいち分かりにくかった。例えば時系列を誤認させて、例のギミックへと繋げる伏線とかにしているのであれば理解できるのだが、自分が気付いた範囲内ではこの時系列が前後している演出を効果的に活かしている場面は見受けられなかったように思う。もっと言えばこの時系列が入り乱れているせいで、ストーリーが把握しにくいという問題点すら産んでいたように思う(そのせいで私は最初You Tuberの男と、里親の男が同一人物なのかと混乱してしまった)。

肝心のホラー演出に関しても、虫、蓮コラ、グロ、心霊的ホラー、ジャンプスケア等々盛りだくさんではあるのだが、逆に統一感が失われて、この『呪詛』における呪いの本質が見えにくかったように思う。

このようにこの『呪詛』は製作者がやりたいことを詰め放題した結果、全体的に古今東西のホラー映画要素の詰め合わせのような豪華ビュッフェスタイルになっている。もしかしたら、その点が多くのホラー映画好きに刺さったのかもしれないが、ただ個人的にはその一個一個が関連性を詰めきれず、素材のままで残ってしまったような噛み切れなさを感じてしまった。

ここまで酷評ばかりであったが、もちろん評価されるだけの良い部分はある。ヒンドゥー教の「カーリー」や仏教の「鬼子母神」をモチーフにしたと思われる「大黒仏母」の造形はとてもおぞましく、ラストの「素顔」もなかなか筆舌に尽くしがたい造形であったと思う。最初の観覧車や電車の映像を使った語りの部分も、映画に最初にのめり込ませるにはとてもいい演出だった。
しかし、そんな風に各所各所で良い部分は確実にあったのだが、それらがお互いを活かしきれておらず、映画全体として見ると当初の絶賛を期待に応えてもらえなかった印象が勝る。
個人的には最初の前評判から作中のギミックを受けて、SNSで語りやすい映画であったことが、いまの絶賛の正体なのではないかと感じる。とはいえ、もちろん私が全然この映画を読み取れていない可能性はあるので一概にはこの映画が駄作だとはいえない。私が駄視聴者なのかもしれない。

なんにせよ、既に次回作が決まっているという本作。随所随所に期待できる部分があったので、ぜひ次は私も皆と同じように絶賛出来たら、と期待している。

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