「和の道」のしなやかさ。
今回はコンパクトに、日本の「道」をテーマに考えていきます。
▶︎ 今日のピック
茶道、華道、剣道、柔道など、「道」というものの真髄は、それらを通して人格を磨き完成させていくところにあります。単に技術や強さを追い求めるだけではない。それが「道」に通底する精神ですね。(その5より)
人としてどう生きるかを考え、そのために自分自身を問い直し、自分が”今”行っていることに対して集中する。
これほどまでにシンプルで、けど難しい事なんだと、自覚しました。
自分自身、個として何かを為そうとする思いで溢れていた様な気がしましたが、個でなく、その行い自体に対して集中する事が正しい。
記事を読むまでは、行いに個が埋没するというか、ある意味部品の一部になるんではなかろうかという思いがありました。
ですが個が埋没するといっても、元々思っていたい「自分」という存在は自分の思い込みに過ぎないなと。
物事を一心に取り組む事で見つかる個があってもよい、それがまさに仕事を通しての「坐禅」になり、仕事がタスクから道へと変わっていく、そう思いました。
あとは、周りの情報に流されない事が大事。
「自分のことはわかっています」と皆さん言いますが、ほとんどは「自分ってこういう性格」とか、「私ってこういう人間」という自分の思い込みです。
仮に知り合い10人に「私はどんな人間か」と聞いてみたら、全員が違うことを言うでしょう。そのとき、どの自分が本物なのか。あの人の言う自分、自分の思う自分、どれがほんとうの自分なのか。「自分が思う自分が本物に決まっている」と言うかもしれませんが、それならば、他人から評価されたり叱られたりしたときに、嬉しかったり落ち込んだりするのはなぜですか。「もし自分というものがほんとうにわかっているなら、他人の評価に一喜一憂する必要がないはずですよね」と言うと、皆さん腑に落ちるようです。「だから坐るのです。自分は何者であるか、わかるために坐るのです」というふうに言っています。(その3より)
自己分析でも自分とは何かと必死に考えていたが、本当に難しかった。
なんとなく自分の特徴は見えてくるが、必ずしもそれに当てはまる行動をし続けるとは限らない。
だいたいいくつかの特性が重なるところに自分がいると結論を出したが、それを元に自分の飽くなき「幸福」を求めようとし過ぎた。
その結果、高みへと目指す姿勢を手に入れたが、どこか本題とは違う、快楽へと進み続けてしまった。
改めて思い返すと自己分析をしている時間が大変だったけど、一番楽しかったなと思う。
なぜなら自分の精神と一体になった様な感覚になったから。すごくあの時間は集中していて、尚且つ気持ち良かった。
あー、あれが自己分析を通して禅の時間だったのかもしれない。
ただ目の前の事について集中してみる。
▶︎その他のピック3選
1、スポーツとしての禅
自分も小学5年生まで空手をしていて、この型は教えて頂けなかったが、生で観た事がある人の方だと思う。
この動画を観て思うのは、空手の「型」の競技はなかなか何が良いとか見分けがつかないと思う。
ある意味アートというか、価値が分かる人にしか理解出来ない競技なのかなと思うが、でもこの動画から感じる迫力はなんだろうか。
殺気とも違うし、演技って感じでもない。
型に人が入り込んで生きている様な感じは、本当に磨かれたモノだとういうのが、素人目にも分かる。
元々は人を倒す動きを前提に作られてはいるので、よく「目の前の人を一撃で倒せ」とイメージしながら稽古をしていたが、その数個上の人の倒し方の美しさまでを型に没入しながら、一心に演舞する「型」の魅力を感じる。
緊張感など動物の性と戦いながらも、自分を律して振舞い、自分を磨く姿はまさに「道」だなと思う。
2、日本酒の海外進出
日本酒と言えば最近は「獺祭」となっているが日本酒メーカーの販売戦略などは知らなかった。この「無二」という超プレミアなお酒があるのも初めて知った。
日本は大衆民芸の文化でもあるので、浮世絵の様に誰でも安く手に入れる事ができた反面、販売戦略や価値を付ける「ブランディング」はヨーロッパに比べれば上手くないとされてきた。
だからこそ、酒蔵としては珍しいマーケティング・ディレクターを採用し、日本酒という伝統文化を磨くだけではなく、届けるという姿勢に嬉しさを感じた。
日本酒が売れる事よりもその先の文化や味などを知ってもらえるのが嬉しいなと思いました。
3、茶道としての禅
この記事は茶道から「マインドフルネス」について考えていたのですが、
マインドフルネスは、ストレス軽減のために行われているのですが、反対に禅は精神と体が一体になる事で、自分の仏を知る。
目的が少し違うのですが、禅をした結果としてストレス解消になるので、それを目的にした物と捉えています。
ここではストレスに対してお茶を通した「内省」をしていく事で戦略的に休ませるという事が書かれています。
何かに目の前の事に一心に取り組むという意味で仕事と茶道の違いは「複雑さ」なのかなと。
空手や禅など、する事がシンプルなほど没入性が高いですが、仕事はただ同じ事を繰り返せば良いという訳ではないので、一心に取り組みながらも、行う事の性質を変える方が、長期的にはよいのかなと思いました。
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