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人類の神化と虚構 / #読書雑記

毎週日曜日に更新していく読書雑記です。
文章から言葉を拾って考えたり、内容から物事を考えてみたりした発見・学びや、文章と自分の間で生まれる感情など、諸々です。

▶︎ 今日の一冊 / ホモ・デウス(上)

人類は19世紀頃まで苦しんでいた「飢餓・疫病・戦争」を克服しつつあり、更なる幸福へと突き進んでいる。
そして人類は「サピエンス(賢い人類)」から「デウス(神)」へとアップグレードをしようとし、様々なテクノロジーを用いて、この世界を思い通りに作り替えようとしている。
この上巻の方では、なぜ人間は他の動生物を支配でき「人間」という地位を確立できたのか、について歴史・宗教・化学の面を通して書かれている一冊です。

「感想」
この本を読み進めるのには、大変苦労しました。(理解度は低いと思う。)
なぜなら文章の中で、作者がデータなど用いて解決した疑問に対して、自らその解決に疑問を呈しているからだ。
読んでて、「え、どっち?」と混乱してしまう。ここで思ったのは、どっちかが正解だと決めつけている姿勢が、そもそも間違いなのではないのか。
人間とか人類とかの視点から解脱させて、地球とか宇宙の視点から我々を見ている様な感覚になりました。

▶︎ 発見や気付き

天気の様な複雑系には、私たちの予測には全く影響されないものもある。
したがって逆説的な話だが、データを多く集め、演算能力を高めるほど、突飛で意外な出来事が起こる。私たちは知れば知るほど、予測が出来なくなる。
p,77

自分たちは歴史や過去のデータを元に複雑な未来を予測しようとするが、誰か(newspicks辺り)が"過去は参考にしかならない”と言っていた。
難しい話だ。自分たちは経験を元に、これに違いないと思って行動して、ある意味正解を導き続けて今に至ると思うのです。
でも人々が情報を素早く手に入れ、理解が深くなるほど行動の変容スピードは速くなる。まさに流行に飛びつく様に。
データを集めやすくなって、正しいとされる事を信じて消費していく事で、常識が普遍ではなく消費されるものになっていて、コロナがまさに1週間単位で常識が変化させる存在の分かりやすい例になっているなと。
今がVUCA(予測不能)な時代が加速する理由がなんとなく理解出来ました。

情動はあるゆる哺乳動物が共有している。すべての哺乳動物は、情動的な能力と欲求を進化させた。そして、ブタは哺乳動物だから彼らにも情動があると推測して差し支えない。(中略)情動は生化学的なアルゴリズムで、すべての哺乳類の生存と繁殖に不可欠だ。p,106~107

この話は、結局人類って「幸福」を目指しているから、飢餓を減らしたり、寿命を伸ばそうとすると。では幸福って一体なんだろうかとした時に、ここでは「ブタと同じ様に欲求を元に一連の動作を通して快楽を得ているのに過ぎない」という様に、自分は捉えた。
ここだけだと全てにおける納得感は持てないですが、ブタや馬などたまたま家畜化出来たのであって、本来は対等な存在なのかもしれないと思いました。

サピエンスが世界を支配しているのは、彼らだけが共同主観の意味のウェブーただ彼らに共通の想像の中だけに存在する法律や様々な力、もの、場所のウェブーを織成すことが出来るのだからだ。p,187

上の文章では、人々が持つ多様な喜怒哀楽人間がトップに君臨する理由をどう説明すれば良いだろうかと思ったのですが、この理由は「共同主観」を持っているからだと思いました。
共同主観とは、お金などみんなが信じている物の事だと認識しているのですが、あるモノがストーリーや意味を持ち、それに対して、幸福感やメリットなどを感じた瞬間に、一斉にガラクタが価値あるモノになるのです。
人間だけが初対面の人と柔軟な協力が可能なのは、共同主観があるからです。
言語というハイコンテクストな表現方法を手に入れたのがキッカケで、共同主観を元に、今の社会があるのだと思いました。

▶︎ 余談、疑問

現実にはその様な人は「不死」ではなく「非死」と言うべきだろう。神とは違い、未来の超人たちは依然として戦争や事故で死にうるし、何を持ってしても彼らを黄泉の国から連れ戻すことは出来ない。(中略)もし自分が永遠に生きられると思っていたら、無限の人生をそんなんこと(命の危機があり得る事)に賭けるのは馬鹿げている。p,38

グーグルが20億ドルの投資額の内36%を生命科学に投資している。
そしてその中の一人のビル・マリスという人物は不死の実現を心から信じている。
確かに遺伝子工学と再生医療によって実現可能かもしれない。でも寿命が倍になった人類は「死」への恐怖に対しての耐性が弱くなると思う。
もし自分が、恐怖や苦しみを受け入れる事が出来なくなり、幸福へと走り出す人類の中の一人となったら、もはや一種の薬物依存の様になりそうなイメージがあった。「死ぬ」という不自由があるからこそ、自由に生きれる事による幸福が味わえるので、寿命を伸ばす事に対しては懐疑的です。

動物が生存と生殖の可能性を高める様なもの(ex:食べ物、伴侶、社会的地位)を求める時には、脳は鋭敏さと興奮の感覚を生み出し、動物はそれに急ぎ立てたれて一層努力する。そうした感覚が実に心地いいからだ。p,53

仕事で成功しようとか、カッコよくなろうとか、人間が一生懸命頑張る事って、客観的に見れば動物の本能だと思うと、なんか興ざめしました。
結局、自分たちの活動って極論、何にも繋がっていないなと。
未来に希望を持って生き、生み出したところで、それは脳の快楽以外では何もない存在なんだと。
そしてより良くなろうと、さらなる快楽の追求をしている人類は、快楽から脱する仏教的な発想は消えていくんだなと。
現実の世界も、今自分が必死に守ろうとしているモノも、ゲームの世界の様で全て妄想の夢の中の話だなと、やや無力感。

▶︎ 考えた事

人類は元々、狩猟民族として他動物とのサバイバルを生き抜くために、定住し農民となり安定を求めた結果、「飢餓・疫病・戦争」が増え、それを抑えて最高の幸福へと辿り着いたと思ったら、次はテクノロジーによって死なない事を目指そうとしている。

本書を読むと、さてどんな未来を目指そうかと考えている中で、視野が「人類の中の自分」という狭さに気付いた。
ブタの件では、違和感や腹立たしさを感じなくもないが、それは人間がブタよりも上に立っているという人間至上主義による怠慢なのかもしれないと。

となると、人間は功利的に人々の最大幸福のために日々、利他的善意ある活動している様に見えるが、地球規模で見れば自分たちは「ご都合主義」なんだなと。
その人類のご都合主義に、人類が巻き込まれて、誰も制御出来ないのが今だと思いました。
この社会は見えない誰かの思惑によって動いているからこそ、地球の真理はあっても、人類にとって正解はないのだと思いました。

今、世の中ってどんな風になっているのか掴もうと思って学んでいる中で、学ぶほど世の中が消えていく、掴みにくくなっていて、それをより強く感じさせてくれました。


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