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「本を語る」2024/6/17 「哲学を知ると何が変わるか」



❶[1BOOK]
「哲学を知ると何が変わるか」
鷲田小彌太著 (株)講談社 講談社文庫
1997年10月15日第1刷発行

❷[POINT]
① 哲学がないとは、流行にとらわれているということか
☆「哲楽」の時代
哲学もユーモアも、ともに精神の自在さを本分としている。遊びの精神、といってもよい。考えてみれば、哲学とは、もともと、遊びの精神から生まれたものである。
かつては高等遊民にだけあった理屈の遊びは、今日では、平均的人間にとって当たり前という時代になっている。世事・世俗を、つまりは「流行」を生きつつ、それらを自らの遊びの精神でとらえ返す時代である。世俗の中から、世俗をでて、自由に精神を飛躍させる時代である。哲学の時代といったら硬くなるから、「哲楽」の時代とでもいっておこうか。

② 反時代意識の皮肉ーニーチェ
☆「過剰」に悩む時代とニーチェ
だから、ニーチェの思考は、百年たって、ニーチェが批判し憎悪した資本主義とデモクラシーが「実現」してしまったのである。凡俗な金儲け主義と凡庸な衆愚政治えいじが、大化けしたのである。こうなると、ニーチェはもはや、反時代的意識の代表者の地位を開け渡さなくてはならなくなる。ニーチェは、時代に背を向けた孤高者ではなく、大衆の側で、大衆の無意識を語る哲学者に変貌しつつあるのだ。

③ はじめにコトバありき
☆コトバは無限だ
「人間は平等だ」というコトバは、どこまでいっても、実現不能である。「一定」の平等が実現されても、もっと平等、さらに平等、とコトバは主張する。コトバに限界はない。このコトバを、人間はもってしまった。人間の世界では、コトバに実体がついてゆく。その逆ではない。コトバは無限に進化する。人間の世界もそうだ。

❸「本を語る」
「哲学は贅沢だ」という言葉で締めくくられるこの本は、実に読みやすい「哲学史」です。
[思いついたこと]
一般に、「哲学」として講義を受けると、ほとんどは「哲学史」つまり、ギリシャ哲学のソクラテスやプラトン、アリストテレスに始まって、19世紀のヘーゲルやマルクス、最近は20世紀のフッサールやフーコー、サルトルあたりまで、誰がどんな「哲学書」を書いたかという話が、延々と続くものです。そして、プラトンのイデア論あたりで眠くなり、デカルト、カント、ショーペンハウエルに至ると、ちんぷんかんぷん。だいたいそこまで行かないうちに「投げ出してしまう」のがオチです。
[そして]
私自身、大学での専攻は一応「哲学」になっているので、人よりは少しだけ、我慢して付き合ったつもりですが、「哲学を知ったからと言って、何になるんだろう」という思いは残りました。難しい言葉を難しい言葉で説明されても、さらに遠ざかってしまうだけです。それから思うと、この本は、かなり優しい、難しくない言葉で説明されています。なんで、今まで「積ん読」にしていたのか、そっちの方が謎です。
[しかし]
過去よりは今、今よりは未来を志向する現代において、教養としての哲学史と割り切れば、この本くらいの知識で十分なのではないかと思います。高校まで、真面目に勉強していた人なら、「名前くらいは聞いたことがあったな〜」とか、「そんな言葉があったっけな〜」と思い出せるはず。ここに登場する人物の名前を、「初めて聞いた」という人なら、無理して読むことはありません。もっと他に、あなたがいま読むべき本はあります。
[だからこそ]
「簡単に読める方法」を研究しているのです。4C速読だけでなく、いろんな読み方があります。なぜそれらをお勧めするのか、というと、まずは「読書」に慣れて欲しいから。いきなり難しい本を読もうとするから挫折して、どんどん「読書」から遠ざかってしまうのです。
本は「あなたを映す鏡」でもあり、読書は自分と向き合う絶好のチャンスです。自分自身のことって、意外と自分ではわからないものですよね。

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