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やっぱり書く


久しぶりの雨だ。
いや、先週も雨が降っていたけれど
訳あってその日は一度も外を出なかったから
ざらついた窓の明かりが、なんだか灰色がかっていた程度で
1日気分は浮かばなかったけれど、
あの日は雨の日にはカウントされない。
きっと、久しぶりに空から降る雨粒と、地面が濡れた風景を目にし
時折激しく降る雨音に耳をすましたから
今日が久しぶりの、雨だ。

そんなふうに日々が通り過ぎるように過ぎていった。
(え?どんなふうに?)

最近はnoteを書かなくなった。
理由はいくつかあるだろうけれど、

やっぱり書かないといけない
ような気がしてきた。

特に義務のようなものというよりは
自分のために、書くことを、
静かながらも、たしかに続けていく方がいいと思った。

だからふんだんに取り留めのない形で、つらつらと書いていく。

日々、仕事で翌朝に届く新聞の記事を書いていると
「ルール」のようないろんな網に絡まって、息苦しくなることがある。
というより、そんな日々を過ごしている。

というのも大半は言い訳であって、
仕事は大方楽しく、午後7時家に帰ってから
文字に向かおうとする体力は残っていなくて、これもまたいい訳だ。
他に特段することもないので、テレビをつけて
特段見たくもない番組を見て、気に食わなければYouTubeに移行するみたいなことを繰り返している。

といっても、なんだか「書かなければ」という気が常に付き纏っている。
ここ3ヶ月、いや半年以上。


要するに、意味を求めているんだと思う。
仕事は大方楽しく(二回目)、やりがいはあり、月末になれば十分な給料を得られる。その時点で贅沢を満たしていると、人は思うかもしれないが
どうもぼくは満足が出来ないようだ。

今、ここで、この生き方をしている意味を求めているようだ。

という自分でも極めてわがままだと思える感情を文字にしている。

このわがままの多くは他者から与えてもらうものではなく
自ら自己完結で行えるもののようだ。

なので他方にもなるだけ迷惑をかけないと思われるのが、せめてもの救いだ。
心配されぬよう、よろしくお願い申します。

本当に何を言いたのかわからないが、
ここ半年でないほどに、キーボードを打つ手が進んでいる。

いよいよ肝心な話に入る。

日記みたいなものを書いていこうと思う。

タイトルは「日々、綴る。」(仮)。
カッコつけたような、いかにも自分好みという感じが過ぎて気に入ってはいない。
一方で、「悪くないんじゃないか」と思う自分もいるという
「日々、綴っていけよ」という自戒となぐさめを込めて笑
なんて、めんどくさい人間なのだろうか。

内容は、出会った言葉と考えたことを綴っていくようなものになると思う。

まぁ、それとなく頑張って欲しい。未来の自分。

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