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コロナ禍の青春


先週末、2つの学校を取材した。
コロナ禍で、今まで通りの青春を過ごせない学生はかわいそうだ。
正直に、勝手にそんな風に思っていた。
だが、そんな中でも工夫し精一杯に文化祭を楽しもうとする高校生と
受け継いだ伝統を絶やすまいと必死に踊る中学生の姿があった。
彼らの姿に、こんな状況にも「今を生きる」力をもらった。

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今までの青春でないこと


午前中は高校の文化祭に訪れた。
例年は学生の家族や地元住民が訪れる町の一大イベントになるという。
それも今年は無観客。
「今年は学校に入れない地元の方にも、高校生の姿を届けて欲しい」
と教頭先生の言葉に背中を押され、構内を回った。

文化祭自体も、毎年多く盛り上がるという
飲食物販売や、合唱コンクールが中止となったらしい。
それでも、今年らしいマスク展があったり、
クラスTシャツのコンテストがあったり、
例年を知らないぼくにも素敵な文化祭であるように思えた。

校内を歩く高校生は、とても元気で明るかった。
色あざやかなTシャツを着飾って、廊下を歩くぼくに挨拶をしてくれた。
スマホを掲げピースする姿は、いつしか文化祭の風物詩になったようで
どこか懐かしくも思う。

それでも、自分たちが過ごしたであろう青春とは違うことに
かわいそうだと思ってしまう自分がいた。

本来であれば、中庭にはテントが並び
生徒はフランクフルトや焼きそばを作って
合唱コンクールなんかもクラスが一丸となる、いい思い出となったのだろう。

そんな中でも、笑顔で青春を楽しむ高校生の姿があった。
そんな高校生たちは、みな体育館へと向かっていた。

今年、中止となった合唱コンクールなどの代わりに行われる
クラスごとに作った映像の上映会があるという。

「模擬店などがなくなって寂しいと思うこともあった。
例年とは違う形で楽しかった。
完成して、みんなで観た時にやってよかったと思った」

高校生の言葉に、自分を恥じた瞬間だった。

彼らは、限られた中で工夫して今を楽しんでいた。
そこに、コロナを恨む悲壮感などはなく
ただ、例年とは違う形の青春の時が流れていた。

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受け継ぐ踊りと思い


午後は小中学校の運動会に訪れた。

中学校の全校生徒は18人。
生徒数減少を理由に小学校との合同運動会となるも
観覧客は家族2人までと制限された。

中学校で生徒会長を務める子の言葉に心打たれた。

「命は宝。
沖縄民謡のエイサーの中にこんな言葉があります。
僕たちは先輩から受け継いできたこの踊りで
みんなに、こんな苦しい中でも
諦めず頑張ろうと伝えたいと思い練習をしてきました」

短い挨拶を皮切りに、3年生4人は沖縄の伝統芸能「エイサー」を踊り始めた。


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運動会での「エイサー」披露は、この中学校の伝統だという。
毎年、3年生が修学旅行で沖縄を訪れ、本場の踊りを学ぶ。
学校へ帰り、下級生に踊りを教え、全校生徒で運動会に披露するという。

しかし、今年は沖縄への修学旅行も中止。
それでも、伝統を絶やすまいと3年生4人が下級生へ指導を重ねたという。

彼らの悲しみは計り知れない。
3年間楽しみにしてきた沖縄への訪問だったように思う。

それでも彼らは、先輩たちから受け継いだ思いと踊りを伝え
この日、立派に踊りきった。
その思いは、一緒に踊る下級生に引き継がれ
今年から合同となり、目の前で踊りを見ていた小学生の心にも届いただろう。

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挨拶をしていた男の子に話を聞いた。

「練習を始めた当初はみんながまとまらず、大変なことが多かった。
それでも次第に3年生の思いを伝えまとまった
先輩から受け継いだ思いを、後継に伝える踊りができた」

彼の、悩みや思いがこもった言葉だった。

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今を生きる

コロナで、今までの「あたりまえ」が叶わなず
予定していた日常や青春が送れない人がたくさんいる。

彼らを、自分たちが送ったような、今までの
「日常」や「青春」
を送れないことを
かわいそうだと思うことは簡単だろう。

それでも彼らは
悲観することなく、工夫し
コロナの重荷も背負って
楽しみ、青春を送っていた。

今までと、同じでなくても
彼らにとって、たった1度の青春が色あせることは決してなく
むしろ、ぼくの目には、輝いて見えた。

いつしか、今の時代も、コロナの騒動も
「あの頃」と呼ばれる時が来るのかもしれない。

「あの頃」は苦しかった。
「あの頃」を過ごした人たちはかわいそうだ。

なんて思われる、かもしれない。

それでも、彼らは「楽しく生きた」と伝えたい。

そして、そんな姿に
ぼくも、今を強く生きなければと背中を押されたのだった。


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まみや


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