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ヨガって

地味だ。


まず「ヨガ」と聞くと何を思い浮かべます?
ポーズ、瞑想、健康、ウェルネス、リラックス、美、痩せる、柔軟……..
人によって様々なイメージがあると思う。最近は、ジムなんかでもヨガのクラスをよく見かけるだろうし、ネットやSNS等で沢山の情報を得ることができる。たとえ全く興味がなかったとしても、誰でも何かしらヨガについて見聞きしたことがあるんじゃないだろうか。良くも悪くも、最近は「ヨガ」はなんだかポップになって、お洒落で、意識高いみたいな響きがあるかもしれない。
だけど、そういうヨガのイメージって、本当にヨガの一つの側面にしかすぎない。

ヨーガの本当の意味は心の科学である。

インテグラル・ヨーガ
スワミ・サッチダーナンダ著 より

なのだ。
心の科学なんて言うと、なんだか宗教じみた感じがするかもしれないけれど、要するに心と向き合い、心を鎮めること、そのように心を操ること。という感じだ。
このインテグラル・ヨーガの著書は、ヨガの教典『ヨガ・スートラ』について解説してある。その『ヨガ・スートラ』では、

心の作用を止滅することが、ヨーガである。

インテグラル・ヨガーより

と解いている。(と、この著者では解説している。)
そしてその一節が全てである。と言っている。
瞑想や呼吸法、そして今巷でヨガといえば思い浮かぶような、ポーズを取って体を動かすことはその「心の作用を止める」ための手段、それができるようになるための訓練なのである。

なんだか堅苦しくなったけれども….
現代社会に合わせてざっくばらんに言うと、日常で湧き出る色んな感情をコントロールし、心の平穏を保とう。ということだ。

あ、そうなんだ。って思う人もいるかもしれない。実際、自分は体が硬いからヨガには向かないんだ、と少し勘違いしている方も結構いると思う。「緊張を落ち着かせるために深呼吸する」とか、みんな自然とヨガみたいなことを実はすでにやってたりするのだ。ヨガってポーズ(アサナ)をこなすことだけではない。あれは一つの手段であり、どのポーズをどのくらいこなせるかどうか、なんていうのは、そこまで重要でもない。重要なのは、真っ直ぐ座ってしっかり呼吸を通すことだ。そのために体を鍛える。もちろん、目指すポーズがあることで、日々体と心に向き合うことになるし、そこに至るように、体をコントロールする、体に耳を澄ませることができるようになるなら、一つのポーズをこなすことにも意味はある。ただ、そればかりに執着しすぎて、怪我をしてしまっては元も子もない。さらに、それで嫉妬心や、競争心ばかり駆り立てられるのも本末転倒なのだ。

正直、なんであっても体を動かして爽快感を味わうというのはヨガのアサナの練習に近いと思う。ただ、動くプラス心(意識)をもフォーカスするかどうかでヨガかどうか、の違いが出てくる。自分の呼吸と共に、自分の意識が今どこだか、なんて思いながらサッカーボールを蹴る人はあまりいないはずだ。

まあけれども、結局は各々好きな方法で適度に体を動かして、時々自分の感情に向き合うような習慣があれば、「ヨガ」をしていなくたって、それに近いものがあるし、最終的に、どうであれ、できるだけ心穏やかに過ごせれていればそれで良いのだ。

ジブリの『ももののけ姫』でアシタカが「曇りなき眼で見定め….」って言ってるけれど、人の眼は結構曇りまくってる。それを曇りなくしていくのがヨガなんだけど、なっかなか難しい。

だから、ヨガって誰かに披露したり称賛されたりするものではなく、自分でコツコツ、自分と向き合う作業だから、地味だな、と私は思う。

私の得意分野は体でやってみせることだから、結局アサナにをフォーカスしたクラスになってしまうのだけれど、ヨガってそれプラスアルファがあるんだよ、ヨガってみんなのものなんだよ、っていうのを出来るだけ知ってほしい、って何だか最近すごく思う。だからきっとこんな記事を書いてみようって思ったのだろう。自分が尊敬していることについて語るのってなんだか勇気いるけれど…..


関係ないけど、前回に引き続き今日は3度目のAdventでした…


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