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アメリカ駐在:ピックルボールで人生が変わった話 その3

2回目のクリニックを終えた私はいよいよ地元で(ShanaとDougのプレー場所は30分ほどドライブが必要)ピックルボールデビューをするべく、初めてボールを打つ音を聞いたCounty(市営)のジムへ向かった。緊張しながらコートへ向かうと人がなんと2〜3人しかいない状態。しかもみんなもうプレーし終えて帰るような雰囲気。『え・・・今日は帰るしかないのか・・・』と少し落ち込んでいると、その中の一人の男性が声をかけてきてくれました。「Dinkってわかる?やってみる?」この声をかけてくれた男性、Kendallが私のアメリカ生活を大きく変えるKey personになりますがその話はまた今度に。
そこから2時間ほどDink(Dinkや他の用語についてはこちらのAyaさんのブログを参照ください。とてもわかりやすく説明してくれています)をしてくれるのですが

正直、足がもつれてきて息も上がり、めちゃしんどい。。。でもこんなにも熱心に素人の練習に付き合ってくれるのにこちらから根を上げるわけには行かない・・・と思い必死についていく私。。。ようやくKendallが「今日はここまでにしようか」と汗だくで言ってくれたのでその日は大満足でお礼を伝えて帰路に着いた。
後日談でKendallが笑いながら教えてくれたKendallからの視点では、Adidas(ここをいつも強調して言われる)のコートシューズを履いたアジア人の女の子(アジア人は年齢不詳に思われやすく有難いことに若い女性だと思っていたらしい)がフラッとコートにやってきたので一人残して帰るのも可哀想だしと思いDinkでも少し付き合うかと声をかけたらそこから2時間、Non -Stopでやめようとも休憩しようとも言わない私に『お、なかなか根性あるやん』と思ったとのこと。だけどその内『こいつ、やばい、疲れたから早くやめようって言ってくれないかな』とも思い始めていたものの(私も同じことを思っていたけど)全くやめる気配のない私を見て、遂に自分からやめようと言ってしまった。後にも先にも自分からDrill(練習の意味で使う)をやめようと言ったのは私だけだそう。このDrill好きのアジア人が彼の脳裏に猛烈にインプットされたらしいがその時の私は全くそれを知らず、やっぱりピックルボールをやっている人って親切だなぁと呑気に思っていたのだが翌日は全身が筋肉痛で全く体を動かすことができず『何でもやり過ぎはあかん。。。』と天井を見ながら思ったのでした。

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