mamisatya

2021年8月29日に最愛の母がくも膜下出血で旅立ちました。 母のこと、家族のこと、…

mamisatya

2021年8月29日に最愛の母がくも膜下出血で旅立ちました。 母のこと、家族のこと、闘病記、死別に関する独り言。 その他、普段のブログやSNSとは分けて綴りたいこと。

最近の記事

母がいない秋

いつのまにか季節が変わりました。 母のいない日々は、気づけば時間が過ぎ去り、母が生きていた頃がどんどん昔のことになってしまう。 日常でふとした出来事が起こって「これママに教えてあげよう!」って未だに思ったりする。 あ、そういえばもういないんだった。 と、がっかりする。 私は、母がいないとこんな風になっちゃうんだなぁ。 母は明るい人だった。 母がいたら励まして元気付けてくれるんだろうなぁと思います。 父が言ってた。母が明るかったから、家庭も明るかった。本当にその通りです。

    • 母が倒れた日のこと。

      既に記憶が曖昧になり始めている。 辛い思い出ではあるけど、最愛の母の最期を忘れたくないから、少しずつ書きます。 8/12の朝7時過ぎだったか、父から携帯に着信があった。 部活に出かける高1娘のお弁当と朝食を作っていた私は気付かずに、娘にかけ直した父からの電話で父と話す。 「ママが救急搬送されて、病院にいるから。今日の予定をキャンセルして今から来て。あまり良くないようだから。」 と。 あまり良くないって何? 数年前に父は、ひどく落ち込んだ様子で病院から帰ってきたことが

      • 母親の存在って当たり前だった

        言ってみたら、私たちがその上を歩いている、大地みたいなもの。 大地がなかったら歩けないのに。 さも、自分の足で頑張って歩いてるかのように勘違いする。 大地があるから歩けているのに。 当たり前過ぎて気づかないことってある。 それが人間らしさだったりもするのかもしれないけど。 でも、経験から学ぶのもまた人間。 母は肉体としてはもういないけど、毎日想うことができるし、感じるし、今元気でいてくれている父を大切にすることもできる。 これでひとつ大人になったことにしよう。

        • 母が亡くなりました

          70歳、くも膜下出血で倒れてから18日目の夕方。8/29のことでした。 倒れる前日まで元気だった母。 残念ながら、最後の会話は覚えていません。 もしかすると、父の車の助手席に乗った母に「またね」って言ったかなあ。 でも会話っていう会話は、覚えてないんです。 だけど、この「またね」は、倒れる前日のこと。 前日に私は母と会えていた。これって実は奇跡なのかもって思います。 今思うこと、一番思うことは、 母に対して何もしてあげられなかった。 親孝行してあげられなかったなあ。 とい

        母がいない秋