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【未来の仲間ナティーアに向けた日記2021/8/9】エネルギーを呼び覚ます力

2021年の日本は、COVID-19の流行の中にあり、これまでのパラダイムでは立ち行かないところにいるように思う。今だから書き残せること、在野の特に名も無い人間だからこそ置ける言葉があるのではないか。ある日、未来の人類について考えていた時、「ナティーア」という女の子の名前が思い浮かんだ。この日記は未来の仲間「ナティーア」を思いながら書く日記である。

2021/8/9(月曜日・山の日振替)

【News】全国で新たに1万2073人感染7日連続1万人超、首相長崎平和祈念式典で挨拶:核禁条約や「被爆体験者」救済触れず

今日は、長崎に原爆が投下された日だ。今年になって初めて広島の地に足を踏み入れて、原爆ドームと平和資料館に行った。「一体こんなことがなぜ」。そこには1人1人の人生があり、その人生を前にした時、原爆投下を正当化できる人なんていないだろう。ひどいことだ、本当にひどいことだ。でも、同時に、自分が投下する側に回らないと絶対言えるだろうか、という問いが自分に降ってくる。世の中の流れがとある方向に向かっているとき、自分の心と体と頭に聞いて、自分の声を上げられるだろうか。日々の生活の中で、自分の内側から出る声を出せないことが、このことにつながるんだ。戦争は昔の話ではない。今、眼前と私たちの前にあり、日々の選択に問いが投げかけられている。私の今の選択が、未来の仲間であるあなたにどんな生活をもたらしているだろうか。

日中は、ミュージカル映画「イン・ザ・ハイツ」を見てきた。ドミニカ共和国人を中心にラテン系移民が多いニューヨークの地域「ワシントン・ハイツ」が舞台だ。一時この辺に住んでいたことがあるので、懐かしさから目に涙がにじむ。ニューヨークの人口が800万人程度の中、ドミニカ人は70万人を超えて10%に届きそうな集団になっている。アメリカはラテンアメリカの多くの国をそのコントロール下においてきたけれど、気がつけばその内側で彼らは増え続けている。結局のところコントロールしきれるものなんてない。生命は図太いもんなんだ。そして、娘がその血を持っていることにもなんだか意味がある気がする。

私は、ラテンアメリカ人の熱が好きだ。喜びも悲しみも、優しさもずるさも、そこには血の通った人間の熱を感じる。彼らの日常生活には音楽やダンスがあるが、それは人間誰しもが持っている熱・エネルギーを呼び覚ます力があるように思う。人間はすべからく内側に熱を持っている。その熱を動かして生きること、いきいきと生きる以上に、人間の力を出し切る方法があるだろうか。音楽、ダンス、詩、儀式、神話、対話。私たちは、自分の内側の熱を動かすことにもっと意識的である必要がある。過去の先人たちは、どうやって自分の熱を引き出していたのか。でも、過去のやり方をまねるだけではダメだ。人間は、生命は常に変化、脱皮、アップデートし続けている。だから、その熱を引き出すあり方も、変わらない部分はありつつも、変化し続ける必要がある。この社会が大幅に変化している今だから尚更だ。

映画の中で、ドミニカ共和国、キューバ、プエルトリコ、メキシコ、たくさんの国旗が出てきて踊るシーンがある。その国旗というシンボルに向かって、その国旗の向こう側にあるイメージが共有され、人の意識が立ち現れてくる感覚があった。今は、もっと何かユニバーサルなシンボル・サインが必要な感じもする。

1日の中で、本当に色んなことを思うものだ。午後には娘と娘の友達と、行きつけのジェラート屋に行く。ロベルトとスカーレットと名乗る日本人のご夫婦が経営しているお店。ロベルトは肩の力が抜けていて、自分が楽に居やすいように、場を作っているから、緩んだ空気感がそこにはある。お客さんの間をロベルトは自由に動くから、客同士の空気もなんとなく混ざり合う。場を持つ人のエネルギーが、否応なしに注がれるものなんだ。私の家に来て、元気になってくれる人が結構いる。より風が通り、エネルギーが注がれる家にして行きたい。とにかく、人間の熱・エネルギーが高くなり、いきいきと生きることが、ありのままの姿を見せてくれ、必要な循環を生むのだと思うから、そこに意識を向けることが自分の人間としての志事なのではないか。

ナティーア、未来のあなたの周りの人はどんな顔をしているだろうか。いきいきとエネルギーを放出しながら生きていることを願う。

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