いじめ問題をその進行から多面的に考える
なぜ「いじめ重大事件」が後を絶たないのか?
今や社会問題となっている感のある学校の「いじめ」問題。
学齢期の子を持つ親であれば、わが子が被害者or加害者になってしまわないか?というの心配はするだろう。
不登校の原因としていじめ問題があるという話もしばしば聞く。
他人事みたいに語ってしまうが、数十年近く前に私自身もいじめに遭っていた。当時は「いじめ」は名詞化されておらず「日々いじめられる」であったが、内実は変わりはない。
1980年代後半にいじめを起因とすると思われる中学生の自殺があり(中野富士見中いじめ自殺事件)、その頃からいじめ関連の報道も多くなってきていたが、いじめ自体はかなり昔からあっただろう。
大津中2いじめ自殺事件を契機に、いじめ防止対策推進法という法律もできたが、それ以降も学校のいじめ対応については掛け声だけといった声も多い。
いじめと学問領域
いじめに関する研究をしている研究者は、案外教育学以外のジャンルの研究者が多い。
いじめをどうとらえるか?といった観点を含む本や論文の著者は、社会学者、社会心理学者、心理学者、精神医療関係者(医師、心理士)などが多いのだ。
「いじめとは何か 教室の問題、社会の問題」の森田洋二氏は社会学者であるし、
「いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体」の内藤朝雄氏もまた社会学者である。
「いじめ定義」の比較検討 : 「いじめ容認型言説」からの考察 等、いじめをグループダイナミクスや、言語から読み解く試みをしている八ッ塚 一郎氏は社会心理学者である。
いじめがなぜよくないことなのか?を法学で読み解いた「自信をもっていじめにNOと言うための本 (いじめの憲法学) 」の著者、中富公一氏は憲法学者である。
他方、教育学者の言説を見るに、個々の著者の考える「いじめ予防」「いじめ対応」といった内容のものが少なくない。
概ねいじめの4層構造と呼ばれる構造図を根拠に「傍観者・観衆」層の子どもに働きかける指導といったものが多い。
教室内における教員の存在が加味されていないといった矛盾を内包するため、予防できるかどうか?また解決できるかどうかは、運しだいといった面が強くなるように思う。
「いじめ解決例」として紹介されている事例に関しても、かなり軽度のいじめが多いようにも感じる。
少なくとも、他学問ジャンルによるいじめ研究や、社会の知見が、教育学方面にはあまり活かされていないといったことはありそうだ。
なぜ「それはいじめだ」と言いにくいのか?
結論から言ってしまえば「いじめ」と「からかい、ちょっかい」との界面がはっきりしないからである。
被害者の訴えや、傍観者からの知らせ、保護者からの心配が教員や学校側に伝わらないといった話は多々ある。
精神科医の中井久夫氏はこう語る。
いじめかどうかを見分ける最も簡単な基準は、「立場の入れ替え」があるかどうか。当人同士がいくら冗談やふざけ、遊びと主張しても、そこに立場の入れ替えが不可能な支配関係や、周りの子たちに「自分じゃなくてよかった」という安心感が存在する限り、それは間違いなくいじめだ。
これはかなり明確性の高い基準であると思う。
ただ、これだけでは残念ながら「深刻化度合い」は判断しにくい。
もう一つ、興味深い言説があった。森田洋司氏の「いじめとは何か 教室の問題、社会の問題」中の国際比較に関する記述である。
そこで、いじめが「一学期以上」の期間にわたって続き、かつその頻度が「週に少なくとも一回以上」認められる「長期・頻回型」のいじめを指標として、「進行性タイプ」の出現率を比較してみた。…中略…日本は他国に比べていじめの被害に遭う確率は低いが、一旦被害に遭うと「進行性タイプ」になる確率が高い国といえる。
認知率の問題があるので、被害に遭う確率についてはどれだけ現実を反映しているかについては疑問が残るところであるが、「進行性タイプ」になる確率については信憑性はありそうだ。
いじめの進行度合いが見定めにくいことが、認知度や深刻度における、被害者とその保護者サイド、教員・学校サイド間の温度差を埋めにくい原因なのかもしれない。
もし「進行具合」についてのスケールがあれば…
では、もし何らかのスケールがあれば「認識の差」といったものも埋めることが可能かもしれない。
そこで、進行スケールを作ろうと試みた。
いじめの進行速度は個別の事案によってかなりまちまちであるし、急速に進行したりパタッと止んだりすることもある。
問題はPTSD等の後遺症を残すほど深刻ないじめであっても、「恐喝」「暴行」といった刑法犯罪と言えるようなものとは限らないことである。
そこで、触法性という観点を抜いて考えてみる。
すると、いじめが深刻化したケースの資料から、「複層化」「加害の安全性」といった二つの視点が浮かび上がってくる。
社会学者の内藤朝雄氏が、加害者層が加害の安全性を確信することによって加害者層の準拠秩序が自己愛的なものに変貌し、いじめがエスカレートすると述べているのとも符合する。
1)学級空間内に「いじめの輪」が複数できている[複層化]
2)加害の安全性が高い空間になっている。[加害の安全性]
重大案件化する場合には、ほぼこの二つの条件がそろっている。
以上のから考えて以下のように4ステージに分けていじめの進行を捉えてみたのが下記の図である。
教員向けの書籍で想定されているのは、概ねステージ2までである。
そして、SNS上で散見される保護者の言によるいじめ被害というのは、ステージ3もしくはステージ4となる。
別々のターゲットを想定する加害層の複層化が起こった場合は、制御不能になり学級崩壊となることもあるだろう。
同時多発でなければ、ステージ1であればほぼ無害かもしれない。だが、ステージ1であっても学級内で同時多発すれば進行の可能性は高くなるので、ステージ1の頻度を下げたり、同時多発しないような進行予防策は必須だと思われる。
いじめが進行していくときに起こっていること
さて、いじめが進行するときに起こっていることはいろいろあるのだが、被害が甚大化する中で 1)被害者の孤立感 2)加害者→非関与層への取り込み圧 3)加害者の準拠秩序 は大きく変化していく
1)被害者の孤立感
被害者の孤立感は「加害層」「抵抗できない非関与層」が増えることによって増大していく。また、いじめが日常化することによっても増大する。
2)加害者→非関与層への取り込み圧
加害層は仲間を多く取り込むことによって「仲間内での正義」が形成されやすくなる、また、非難・通報されにくくなる。
3)加害者層の準拠秩序
一般社会秩序「いじめは良くない」→自己愛的秩序「あいつが気分を害したからいじめてもいい」といった変化が起こる。
これらを上の図の下に視覚化して加えると下記のようになる。
いじめ進行を促進する要件
さて、ここでいじめの進行を促進する要件を考えてみる。
[A-1]教員要因(ベースとなる状況)
・教員による差別がある
・傍観者同罪扱いのいじめ予防
・学級のまとまり・自治に偏向した学級運営
・「ゆさぶり」等と称して子どもを不安に落とし込む指導が行われる。
[A-2]教員要因(教員のいじめ認知後)
・教員による容認が行われる
・いじめを見のがす、被害を小さく見積る
・被害者を矢面に立たせるいじめ対策
・いじめられる側に問題があるとする
・表面的な仲直りを強いる
・いじめを利用した集団づくり指導
加害関与層
・該当学年以前にいじめが見逃されてきた体験
・該当学年含めAのような教師をみてきたことで、自己愛秩序優位に移行しやすい。
・養育者からの虐待がある
・養育者の支配傾向が強い
非関与層
・該当学年以前にいじめ被害にあって解決していない
・該当学年含めAのような教師の行動を見ている
学校・教委・地域
・安全意識・人権意識の低さ
・学校の自治をベースにした事なかれ体質
・学級の自治をベースにした教員間の相互不干渉体質
・学校・地域の名誉をベースにした事なかれ体質
・地域・PTA等有力者の影響力をベースにした事なかれ体質
以上全部まとめて1画面化してみたのが下記。
A~Fの詳細についてはまた後日
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