一冊の本で、ふわふわから地上に降りた話。(半生記①)
思いつく順に、自分の半生を書いてみようと思います。
高校を卒業したあと、わたしは、絵本の専門学校に通っていました。
なぜその学校に決めたのかといったら、勉強はしたくないから大学には行きたくない。すぐ働くのはちょっと怖い。なにかの専門学校に行こう。みたいな感じで、学校にあった分厚い専門学校ガイドをパラパラしていて、見つけた。
絵は好きだったけど上手くはないし、絵本をそれほど読んだこともないし、でもここ卒業したら絵本作家になれるのよね?って思って、決めた。
簿記の学校行ったら事務員になれるように、美容師の学校行ったら美容師になれるように、なんとなく、絵本作家っていう仕事に就けるように思ってた。
すごく絵本作家になりたかったわけではない。会社に行くひとになるよりも、家でかわいい絵を描いて、かわいいお話書いて、暮らすひとになりたいなあー。なんて、幼稚園児が描くようなふわふわな夢をみてるだけだった。
で、説明会に行ったら、ここを卒業して絵本作家になるひとは、ひとりいるかいないかです。って言われた。あら。
じゃあそのひとりになってやる!!なんて、気持ちはさらさらなく、絵本作家にはなれないんだー。どうしようー。って思いながら、そのままそこに進学した。
絵本専門学校に来てる学生たちは、美大の受験に失敗してしまったけど浪人はできないというひとや、絵を描くのが趣味です。みたいなお嬢さんや、一度就職してお金貯めてやりたいことしに来ました。みたいなお姉さんや、まちがって入ってしまったみたいなサーファーの男の子や、ほんとにバラエティに富んでいた。
授業は、どれも楽しかった。絵本を読んでもらうだけの授業や、文章の書き方やデッサンや、絵本の一場面を立体で創るとか。
たくさんの絵本を読んだ。先生のおすすめや、友達のおすすめ、近くにあった絵本だけの本屋さんのおすすめ。
今まで持ってた絵本へのイメージが、ガラッと変わった。
かわいいだけじゃない。子供向けだけじゃない。そもそも、子供向けなんて子供に失礼だ。絵本は芸術であり、文学であり、社会の縮図だった。
✳︎
「長谷川くんきらいや」という絵本に出会った。
関西弁が下手くそですみませんって言いながら、先生が読んでくれた。
作者の長谷川集平さんは、ヒ素の入ったミルクを飲んだことで体が少し不自由。その子供時代のことを友達目線で描いた作品。
とてもかわいいとは思えない絵と、いろんな角度からの問題提起。だけど、ちょっとユーモラスで優しい。
それからわたしは、長谷川さんの絵本をたくさん読んだ。独特の雰囲気。ちょっとどこか怖くて、でもあったかくて、好きだった。
「絵本未満」という、長谷川さんの半生を書いた本を読んだ。「長谷川くんきらいや」を描いたときのことが書いてあった。
描くのは、とても苦しかった。毎日毎日泣きながら描いた。描くことは自分を、自分の過去を、自分の傷を、えぐるようなことだ。血を流すように描いた。
今は手元にその本はないから、言葉は違うかもしれないけど。
わたしが思い浮かべた、長谷川さんの執筆してる背中。それを今でもはっきりと思い出せる。
衝撃だった。
わたしには、そんな思いをしてまで、描くべき線は1ミリもない。塗らなきゃならない色なんて持ってない。
自分の空っぽさを思い知った。描くべきひとではないって知った。
そこからは、たんたんと課題だけをこなして、卒業して、授業でならった写植(今はなき)の切り貼りの技を活かして、印刷会社に就職しました。
続く。