きれいにしまってあるものは、風景にとけこむ(だから目立たなくなるってこと)。
しいたけさんがおっしゃるには、昔の記憶の悪夢をみるのは、脳の中の図書館に記憶を整理してしまうためなのかもしれないそうです。
過去の記憶に苦しめられるのは、防衛本能の一種かもしれないそうです。
その先は、有料部分なので書けないですけど、それならこれもそうなのかもって思いました。
過去のことをnoteに書くことは、記憶を整理して、きちんとしまうことなのかも。って。
きちんとしまえてなくて、適当に置いてあるから、ひょんなとこで目に入ってしまって、思い出してしまって、あーーーってなるけど、きちんとしまってあれば、必要なとき以外は取り出さなくてすむのかもですよね。
わたしが手放したかったことを、こないだやっと書けたんですが、読んでくださった方から以外な反応をもらって、ちょっとびっくりしました。
母の熱中症を、わたしが放置したからだと、わたしが嘘をついてると言った医者のことを、その時のわたしの代わりに怒ってくれました。
わたしはその時、医者が言ってることをひどいとは思いました。でも、それは、姉が言うように、うまく反論しなかったわたしのせいで、夫が言うように、気にしなくていいことを気にしてしまっているわたしが弱いと思ってました。
だけど、りんこさんは、その医者が悪いと、その医者を馬鹿にしろと言ってくれました。
こぼーろさんがコメント欄に、りんこさんはわたしの肩を持って反論してくれてると書いてくれました。
ほんとにそうだと思いました。
医者にひどいことを言われてるわたしの両側で、りんこさんとこぼーろさんが医者を睨んでいてくれてるみたい。わたしの記憶に、おふたりが追加されて、過去のわたしがひとりじゃなくなった。
わたしの脳のなかの図書館で、この記憶が、大丈夫の棚にしまわれました。
ほんとにありがとう。
わたしはあの記事で書きたかったのは、わたしは気にしなくていいことばかり気にしてしまって、その時本当に悲しむべきことは母が助からないかもしれないってことなのに、自分を責めることでいっぱいいっぱいだった。それを吉井和哉さんの歌で気づかせてもらえた。ってことだった。
過去の辛さから救ってもらって、大丈夫になった今でも、あの日吉井さんがMotherを歌ってくれた奇跡と、その歌声のおかげでやっとたくさん泣けたことは、あの時のままの気持ちで思い出すだろう。
Shihoさんが言ってくれたように、ライブってそういうものだと思う。目を瞑ったらそこに戻れる。母のことを思い出せても、もう心配することは二度とできないから、わたしはいつでもそこに戻りたいと思う。
重たい記事を書いてしまったと思ってたら、Minminさんが書いてくれてありがとうって言ってくれて、なんだかもう、ここにいられてよかったなあって思いました。
前の記事も、この記事も、読んでくださってほんとにみなさんありがとうございます。
聞き上手なみなさんのおかげで、いろんなこと話せてます。
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