句会「第七俳句界彷徨」第一回目に参加しました
自由律俳句の俳人・粟野賢太郎氏を代表とする句会、「第七俳句界彷徨」第一回目が新宿某所にて本日開催された。集まったメンバーは代表粟野氏、自由律俳句集団 『鉄塊』に所属されている松田畦道氏、私の三名。今回も三名。
例の如く、まずダラダラ飲んで一時間ほど経ってから、句を紙に書きはじめる。本来は2句のところだったが、緩い句会なので私は8句発表させていただいた。
以下、私の8句を添削前と添削後で表記する。
※◎と○は私の8句の中で選ぶなら、という意味です。
三名あわせての評価ではありません。
◎「バカ笑いしてちょっと晴れてた」
添削は特になし。
○「借り物の本めくるたび人ん家のにおい」
↓添削後
「借り物の本が人ん家のにおい」
借り物の本がにおっているのだから、めくっている動作は言わなくても伝わる。
なので「めくる」はいらない。
「借り物の」という表現が女っぽい。男だったらここは「借りた」にするだろう。
「借りたTENGA返す」「借りたTENGAヌルヌル」
「ヌルヌルってなんで洗ってねーんだよ。」「ていうか捨てろよ。」
オマエラ人の句で遊ぶな。
「雑魚寝した体まるで動かない」
↓添削後
「雑魚寝した昨日のままの私が動かない」
「雑魚寝した昨日が抜けない」
雑魚寝したらそりゃそうなるよね。「動かない私」の描写がもう少し欲しい。
また、朝、昼、夜、いつなのか。時間の経過も読み取れたらいいかも。
「晴れの日に髪を切るそれだけでいい一日」
↓添削後
「晴れの日に髪を切る私だけ見ている」
髪を切ったことで高くなる自意識を表す。
髪を切った「私」を私は気に入っているのか、いないのか。
「文句をいう老婆の声の柔らかさ」
添削は特になし。
「老婆の声の」と「の」が続くリズムが良い。
老婆がどんな老婆なのか。風貌を付け加えるとよいのでは。
例)「歯のない顔でまんじゅうくれた」松田畦道
※口頭で伺ったので、漢字表記など間違いがありましたら後ほど訂正します。
「私のかたちになった靴で出かける」
↓添削後
「私のかたちの靴で出かける」
粟野氏と畦道氏からは「なった」はいらないとご指摘をいただくが、
その後、女性小説家の方にこの句をご覧いただいたら、
「なった」は経過だから必要。
女が靴を履くということを理解していない。
この添削をしたのは男性ならではの発想ですね。とのこと。
「月背負って重たい雲影」
添削は特になし。
「月」と「影」は散々使われている言葉。
その言葉を使うなら、それなりの覚悟を持って作句しなければならない。
でなければただ埋もれるだけ。
「まだ帰りたくない声に染まる夕暮れ」
添削は特になし。
畦道「自由律俳句は幸せな状態では作れない。不幸でなければ。
こちらの句からは幸せオーラを感じるから僕はあまり響かない。」
粟野「でも”夕暮れ”には暗さがあるよ。
果たしてこの句は幸せを描写しているのかな?」
※拙ブログなので自分の句しか発表しません。
その後も粟野氏と畦道氏から、自由律俳句についての大変興味深い話を伺う。粟野氏が企画構想中(進行中?)の同人誌にア・ぽろん代表、なかぎりせいじ氏に参加して欲しいとのこと。物書きとしてのなかぎり氏にも興味を持たれているようであった。
ア・ぽろん会員の句を鉄塊メンバーが選句する、といった合同句会など開催してみてはどうか。同じ場所で句を詠んでいると、読み手が分かっているからその人に向けて詠んでしまう。もっと広い対象に目を向けなければ。
私は絵に対する批評をたくさんいただくが、それは作品の批評で人格否定だとは認識していない。絵の批評は技術面に寄るところが大きいから。でも自由律俳句では技術面での批評がしづらい。その人の感性そのものを否定する形になってしまうから人格否定に繋がりやすい?では自由律俳句を技術面で説明できる人はいないの?
今回初めてお会いした畦道さんに、鉄塊ブログで公開している小説について超簡単な感想を伝えた。大変よい機会をいただけたと思う。そしてさりげなくマルカフェ文藝部を畦道さんに宣伝するなど。埼玉なら御嶽山まで来れるや~ん?
そして前回の下ネタに私が苦言を呈したことが効いたのか。反省の色を見せた粟野氏。本日は控えめであった。次回の句会も参加します。私なりのペースで。
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