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「そこ、玄関なんですよ」

「思ったことを何でもかんでも言えばいいってものじゃないの。ポンポン言う前に、言われた方がどう思うか、立ち止まって考えて」

こういう注意を子どもの頃、よくされた。大人になってもニュアンス的にそう言われていたかも。

そんなこと言われたって、言いたいもんは言いたいのだし、考えるって何をどう考えるんだ。相手の気持ちなんて分かるわけないじゃないか。だってあの人たち、私の好きな生き物を見てギャーギャー悲鳴あげるし、私の大嫌いなドッヂボール(学校では強制参加)が大好きだし、感覚も99%合わないし、何考えてるんだかサッパリ分からないのに。

大体、こっちはいっつも我慢させられている。好きなことも否定され、やりたいこともやれず……。なのになぜ、私の方が人の気持ちを考えなきゃいけないみたいな言い方されるんだ? 訳分からん。ちょっとはこっちにも味方してよ。

特別支援学級がうらやましかった。先生からいつも「どうしたの?」と優しくされ、オモチャで遊び、好きなことができ……。なんで私ばっかり厳しくされるんだ。授業中に遊ばせてもらえないし、「考えたら分かるでしょ!」ばっかり言われるし。

と、言語化できる能力はないけど、薄らぼんやり思ったような思わなかったような感じで生きてきて、その結果、私にはほんのちょっとの配慮が身についた。配慮っていうか処世術だろうか。

ちょっと前(10年くらい前)まで、「なんか分からんけど喧嘩になる」ことが多かったのが(わざと喧嘩することもあったが、「えっなんで?」と思うような喧嘩勃発も多かった)、人に合わせる術を覚え、「(相手にはイライラされているかもしれないけど)喧嘩にはならない」ことが多くなったのだ。

そうなるとどうなるか。繋がりが増える。
あれもこれもやりたい。ああ、どうしよう。という感じで停滞中です。

多分私、平均して1日1ページくらいしか読めません。知ってる人のも読みたいけど、知らない人のも読みたいし、受動的に見に行くだけじゃなく、「今、クロイロコウガイビルのページが見たい」と探しに行ったりもするのです。小学生の頃からたしかこんな感じ。授業が始まるとぼけーっと虫のことを考えたり、ラクガキしたり。

今も本来、「あ、出かけよ」とか言って坂道を登って、生き物探したり写真撮ったり、あるいはスーパーの中を無意味にウロウロしたり、そういうのが好きなのです。「動物園に行く」って行って出かけても、一人なら、途中で見つけたムカデに目を奪われて一日が終了しても問題なし。全部自分の気分次第。
人と一緒だと、一度「目的」を決めてしまうと寄り道しにくいし、人のペースに引っ張られることもあるので、基本一人。いや、そもそも友達いないからだけど。できないとも言う。

けどまず収入面に不安があるので、今は土台を築きたいと思っている。今欲しいのは収益、天職、そっちに繋がりそうなチャンス。なので、「作品」を見ていただけると嬉しいんですね。



ところが、書いても書いても手応えってものがあんまり……ねぇ。

こっちの宣伝をしていたつもりが、いつの間にやら他の人のペースに巻き込まれ続け、「断れない」の連続性で、どこかへ流されてゆく。気づいたらこっちが観客になっている。

自分のページを見ていただいていても、いいねの交換に明け暮れているようで、興味を持っていただいているという手応えが薄い。

霞の中で釣りをし、霞ばかりが釣れるみたいに、ゴチャゴチャとした情報の波の中で、自分がモザイクアートの一部と成り果てているような。


みんな玄関だけ見て、いいねというインターホンを押して、帰っていってしまう。

「そこ、玄関なんですよ。もっと中まで入って見ていってください」

「いいねを押してくれたってことは興味あるんでしょ? え、違う?」

「奥にもっといっぱい作品ありますよ」

いくら呼べどリンクを貼れど、霞ばかりがかかり、たまに手応えがあったと思ったら、相手の詐欺ストーリーが展開される。


どうせ霞のような世の中なら、霞を食っていけたら良いものですが、現実ばかりが色濃く陰を落とし、真綿のように締め付けてきます。それから逃れようとしても、薄らぼんやりと躱されるような。

夢は淡く、人混みのようにゴチャついて、現実だけがハッキリと『警告』という文字をまといながら迫ってくる。書類、期限、お金、違反、義務……。


最初は夢いっぱい、創作も宣伝もしていたけれど、才能の違い、現実への理解力不足を自覚し、無人島に流されて長年経って日付を数えるのをやめた人みたいに、ただ惰性的に書いては投稿を繰り返しています。これを楽しいと思えないならば私は、書くことが好きじゃないのかもしれません。

夢ってのはもっと辛く苦しいことなんだと。たとえ夢叶っても、社会的不安、将来への不安、金銭的不安、締切、圧力、競争、状況の変化、老い、病気……生きるってのは厳しいんだって。

好きなことをしたって、生きることの苦しさからは逃れられないって。じゃあどこへ行けば逃げられるんだろう。


私はただ生から逃げたいだけだったのかもしれない。本気で夢追っていたわけじゃないのかもしれない。

今はまだ、「霞のようなぬるま湯に浸っている方が楽だわ」と、私は今日も現実逃避のため、ほぼアクセスのない投稿を繰り返し、それで「夢に向かっている」と思い込むことで、ちゃんと現実と向き合って何らかの意志や計画性を持って働いているように、自分に幻を見せ続けるのでした。



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