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事実に基づいた殺人事件をプレイフルに描いた『Landscapers』。俳優陣の演技力と制作陣の創作力が桁違いに良かったブラック・ヒューモア・ドラマ。


2014年、スーザン&クリストファー・エドワーズは殺人罪により最低25年の禁固刑を言い渡されたが、今日に至るまで無実を主張している。これは、本当の物語である。(筆者注:この後、true =本当の、という文字が消える)

このような前書きで始まったHBO/スカイ・アトランティックの事実に基づいた殺人事件ドラマ『Landscapers』が最高に良かった。実録犯罪に関するドラマの再構築は星の数ほどあるが、この作品はいろいろな意味で、まさに目から鱗だった。その理由はいくつかあるのだが、そのことに触れる前に、まずは、事件そのものを説明したい。

ウィリアム&パトリシア・ウィチャリー殺人事件

2013年、ノッティンガム警察へ一本の電話が入る。それは、ウィリアム&パトリシア・ウィチャリーという夫婦に関する捜索願いが出ていないかという問い合わせと、重ねて、彼らが住んでいた家の庭を調べてみる必要があるかもしれない、という内容だった。警察は、マンスフィールドにある与えられた住所の庭を掘り起こす。そこからは、二つの白骨化した遺体が発見された。ここに住んでいたウィリアム&パトリシア・ウィチャリー夫妻のものだった。遺体発見当時、夫妻の一人娘スーザンとその夫、クリストファー・エドワーズは、人知れずフランスのリールで生活していた。しかし、生活費が底をついたため、クリスは継母に金の相談をする。その際、自分たちの犯した犯罪のことを告白してしまい、継母から警察へ通報されたというわけだ。二人は、ノッティンガム警察より重要参考人として連絡を受け、イギリスへ帰国。殺人罪と死体遺棄で逮捕・拘留された。そして裁判にかけられるが、その評決が冒頭に書いたものである。この時点で被害者の死亡から15年が経過していた。


殺人事件そのものの概要は、要約するとこの通りなのだが、この事件には考慮すべき点が多々ある。ドラマから学んだことを述べていくと、まず、スーザンの生い立ちだ。彼女はウィリアムとパトリシア・ウィチャリー夫妻の一人娘として誕生した。夫妻は日頃から口論が絶えず、スーザンはその原因として幼い頃から度々矢面に立たされ、攻撃の的となった。家の中は酒瓶と煙草の吸殻が散らばり家庭は崩壊していた。そんな中、出会ったのがクリスだった。クリスは優しく、スーザンを常に守ってくれた。二人は結婚し、東ロンドンに居を構えた。そして、1998年5月、スーザンはひとり、マンスフィールドの実家へ両親を訪ねる。事件当日だ。ウィチャリ―夫妻殺害に関する取り調べでの、エドワーズ夫妻の証言と警察の主張は以下通りだ。

エドワーズ夫妻の証言

実家を訪ねたものの、両親は相変わらず口論を繰り返し、娘を罵った。就寝中にバンバン!という音がし、スーザンが両親のベッドルームへ駆けつけると、母パトリシアが父ウィリアムを撃った後だった。その後、パトリシアが銃をベッドに放り投げたため、スーザンはそれを素早く掴んだが、その後は母は娘を罵りだした。ひどく狼狽し、気が動転したスーザンは、その銃でパトリシアを撃ってしまった。

では、母を撃ってしまうほど、狼狽し、動転してしてしまった罵りとはいかなるものだったのだろうか。母親はスーザンに「私はこの男が憎くてしょうがない、お前など生まれてこなれれば良かった、お前は愛することが不可能な子供だ」などといった罵声を浴びせたが、それは日常茶飯事だったし、慣れているはずだった。しかし、それに加えてこう言い放ったのだ。父親が娘に性的虐待を加えていたことを知っていた、と。スーザンが学校から自宅へ帰ると、母親は仕事に出ていた。娘と二人きりになった父ウィリアムは、繰り返し性的虐待を行った。スーザンは誰にも言えなかった。母親にさえも。なのに、知っていながら黙認していたと知り、スーザンは怒り狂った。あんなに苦しんだというのに、母親のくせに助けもせず、その上それもお前のせいだ、と言われたのだ。スーザンは逆上し、持っていた銃で母親を撃った。

1週間後、スーザンはクリスと共に再び実家に戻る。クリスは、実家を訪ねているにも関わらず、義両親の姿が見えないので、スーザンに尋ね、そこで初めて事の真相を知る。クリスは、スーザンを守るために、遺体を埋めることを提案する。二人は近隣が寝静まった後、庭に穴を掘り、二人の遺体を埋めた。ウィチャリー夫妻に元々近所付き合いはなかったが、隣人には夫妻は引っ越したと伝えた。その後、家は売りに出された。

検察側の主張

スーザンの悲惨な生い立ちには理解を示したものの、警察はいくつかの矛盾を指摘する。まず、殺人そのものについて、スーザンの主張、母パトリシアが父ウィリアムを撃ち、母との口論の末、スーザンが母を撃ち殺したという筋書きを否定する。二つの遺体にはそれぞれ2発ずつの弾丸が打ち込まれていたが、それらは、全く同じアングルから撃たれていた。つまり、殺人は意図的で、同じ人物によるものだと主張。しかも、そもそも、臆病で繊細なスーザンに凶器となった銃の引き金が引けるわけがなく、引いたところで簡単に発砲できるタイプの銃ではない事も指摘。さらに、夫のクリストファーは、以前趣味で銃クラブに所属しており、定期的に射撃に訪れていた事実も明らかになった。つまり検察側は、二人を射殺したのはスーザンではなく、クリスだったと主張する。また、二人が殺された翌日に、スーザンは銀行へ出向き、母親と自分の共同名義の銀行口座を開設。それまでの貯金や家を売却した金はすべてその口座で管理し、スーザンにより引き落とされていた。まさに金銭目的の身勝手な理由による殺人、しかも、金はほとんど使い果たしており、二人は逮捕時ほんの数ユーロしか所持しておらず、その金使いの荒さもその動機を裏付けることになった。


『ライン・オブ・デューティ―』さながらの警察による尋問は手に汗握る。


スーザンとクリスは検察側の主張を認めず、殺人に関して最後まで否認するが、裁判により二人は有罪判決を受けた。


判決を言い渡されるクリス(デヴィッド・セウリス)とスーザン(オリヴィア・コールマン)。


二人がフランスから持ち帰ったのは、何枚かのポスターと小銭だけだった。


ここまでが、ほぼ事実に即した事件の概要なのだが、このドラマではこの二人のキャラクターが赤裸々に描かれている。

まず、スーザンだが、前述のとおり、父親に性的虐待を受け、母親に罵られ、かなり不幸な家庭生活を送っている。そして、両親がスーザンを搾取する態度はクリスと結婚した後も変わらない。そのせいか、スーザンは常に何か怯え、非常に憶病で繊細である。また、クリスは真面目で忠実、スーザンの生い立ちを理解し、助け、守ろうとする。二人は常にお互いを思いやり、逮捕された後、取り調べで離ればなれになっても、お互いを庇おうとする。スーザンは今後一生クリスに会えなくなる、と泣きわめき、クリスはスーザンを愛していると明言する。ここだけ見ると、全ては決して裂くことのできない深い愛で結ばれた二人のラブストーリーのようだ。しかし、冒頭の概要を思い出して欲しい。自分たちのしたことを、継母に告白したのは他でもないない、クリス自身だ。彼らは、永遠に逃げ切れないことを知っていた。実際、スーザンの父親ウィリアムが100歳を迎えた年に、税務署から面接の依頼が来ており、それをずっと誤魔化してきていたし、何より一文無しとなっているにも関わらず、スーザンを守らないといけないという責任と良心の呵責にクリスが押し悩まされていたのは一目瞭然だった。つまり、クリスは疲れ果てていたのだ。


弁護士をつけずに尋問に答えるクリス。何があっても必至にスーザンを庇おうとする。



しかし、彼らの経済感覚には理解不能な所があった。スーザンは、西部劇、特にゲイリー・クーパーのファンなのだが、自分達が経済的危機に陥っているにも関わらず、オリジナルだという西部劇のポスターに大金を払う。また、クリスはスーザンへのプレゼントだとして、ゲイリー・クーパーのサイン入りポスターを£2700(約46万円)で購入している。そして、奇妙なのは、仏俳優ジェラール・ドパルデューとの”文通”だ。クリスの兄デヴィッドが亡くなった後、ひどく落胆していた夫を見て、スーザンはファンであるドパルデューに、夫に励ましの手紙を送るよう、お願いのレターを書く。もちろん返事など来るはずもないが、スーザンはドパルデューの筆跡を真似、サイン入りの写真を同封し返事を書く。クリスは元気を取り戻し、以降、ドパルデューとの”交流”が始まるが、スーザンは、時には100ユーロの現金などを同封し、ドパルデューからのサポートだとクリスを励ます。このように、二人の愛の形はどこか変わっているところがある。(これに関してスーザンは、初めて実はあれはすべて自分が書いたものだったと弁護士に告白する。弁護士は、自分には(なぜスーザンがそのようなことをしたのか)理解できる、と同情を示すが、多少奇妙な行動故、裁判で証言するのは避けた方が良い、とアドバイスする。)


ゲイリー・クーパーの西部劇映画に酔いしれるスーザン。


オリヴィア・コールマンは、時に怯え、時に太陽のような笑みを見せ、時に泣き叫び、時に怒り狂う少女のようなスーザンを見事に演じている。ころころ変わる表情もそうだが、内面から醸し出る不安や恐怖、安堵や喜びを身体全体、仕草や語り口でで表現しており、彼女の類まれなる演技力には甚だ脱帽だ。そして、スーザンの夫クリスを演じるのは、デヴィッド・セウリス。ドラマの前半では、それこそコールマンの存在感に多少のまれているような雰囲気は否めないものの、逮捕後、礼儀深く落ち着いた態度で取り調べを受けるシーンなどは、同情しつつも不気味にすら感じることがあり、さすが名優だと唸らせる。そして、2人が見事に表現する苦悩と孤立の関係は、想像以上に愛すべきロマンスとなっている。


そして、このドラマが他の犯罪再現ドラマと一線を画す理由の最も重要ポイインとは、そのプロダクションだ。脚本を手がけたエド・シンクレアはスーザンを演じたオリヴィア・コールマンの実生活でのパートナー。そして監督のウィル・シャープは、このディテールを軸に、想像力に富み、高度に練り上げられた方式で撮影に臨んでいる。まず、脚本だが、スーザンとクリスが大の映画好きだった、という事実を踏まえて、二人をクラシック・フィルムの主人公のように置き換えて、ストーリーに絡ませていく。それこそ、この犯罪自体もまるで映画の中の物語だったかのように。最終回では、舞台は完全に西部劇となり、クリスとスーザンはアウトローよろしく殺害から死体遺棄までを再現、という巧妙な手法で物語はすすむ。視聴者は、現実と妄想という二つのテーマを行き来し、スーザンとクリスが映画で見たヒロイズムと現実に起こった殺人事件の物語に我を投じることによって、二人を理解しようとする。そこに加えて、ウィル・シャープが放ったのが、第四の壁技法だ。警察が、被害者を撃ったのはスーザンではなくクリスだったという主張を、視覚的に再現する際、いきなりカメラが引いたかと思うと、舞台は取調室から撮影スタジオに切り替わる。そして隣のセットに用意された被害者の寝室で、クリスがベッドに眠っているウィリアムとパトリシア・ウィチャリー夫妻を撃つのだ。ただならぬ臨場感に度肝を抜かれ、ここでまたもや視聴者はドラマと現実の狭間に投げ出される。警察の主張を可視化することにより、クリス犯人説がグッと真実味を帯びてくるが、傍らでうろたえ泣きじゃくるスーザンを見て、やはりそれはないのでは?となってしまう。このように、この作品は、伝統的な実録ドラマよりも実験的でプレイフルなプロジェクトであり、2人の驚異的な演技を中心に、殺人犯の説明役としてだけでなく、物語の概念もほとんど解体してしまうような枠組みで展開されているのである。

クリスとスーザンを西部劇の中の主人公に見立てて、ストーリーに絡ませる。

殺人事件そのものの捜査から焦点をずらしたこの作品は、スーザンとクリスのエドワーズ夫妻が現実世界で起こったことについて真実を語っているのかに関しては、言及されていない。真実を追求するわけでも、結論を与えるわけでもない実録犯罪ドラマ。このドラマを観た視聴者がこの事件をどのように解釈するかは、その人次第である。つまるところ、『Landscapers』は主にパフォーマンス作品なのである。コールマンは最高の演技力で持って、スーザンに弱さと義憤を吹き込んでいる。彼女は何も悪いことはしていないし、クリスは殺人には関わっていない。この映画の悪役は彼女の両親で、殺されても当然のことをした。それがスーザンのファンタジーなのだ。それをどう見るかはあなた次第なのだ。

(終わり)

オフィシャルトレイラーはこちら。



事件には全く関係ないのだが、殺されたウィチャリ―夫妻の家を購入した住人役で、スリーフォード・モッズのジェイソンが出てた。演技上手かった。







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