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ニンゲン初心者のくせに、物申す

地球でニンゲンてものをやって、40年になります。
それでも、未だに生きることがヘタッピな私。

不器用で作業は遅く、世の中の大体のことは不得意で。
苦労してようやく覚えたことは、いとも簡単に忘れ、また振り出しに戻る。

自暴自棄になりそうなのを必死に堪えたり、堪えられず酒に溺れてみたり。

ニンゲンやって結構経つのに、いつまでも「初心者マーク」は取れません。

ビギナーズラックってやつも素通りしてしまったようで。生きてて、なんのメリットもラッキーも、いまいち感じたことはないんですが。


40年人間やってみて今思うのは、「無理しすぎたのかな」ってこと。


普通の人が無意識に送っている日常は、私にとっては少しハードルが高いんです。


本当は歩くこともままならなくて車椅子が必要なのに、普通の人の歩くスピードに追いつこうとしている。

ずっと、そんな40年でした。

松葉杖をつくことさえ許されないような空気感のなか、車椅子に座るなんてもってのほか。

だから、助けを求めるなんて、考えもしなかった。


「普通の人の3倍は努力する」

いつも、それが自分の合言葉。

人より抜きん出るためではない、”普通”に生きるために必要な努力。


「じゃあ、普通ってなんだよ」

って言われると言葉に詰まってしまうけれど。


私にとっては、「普通」とはもっとも難しいものの一つで、普通でないことが最大のコンプレックスだったのです。


見た目は「ふつー」。

なのに、「障害者」?

だから、「努力が足りない」と言われる。

そのために必死の努力をして、限界まで頑張って・・・頑張りすぎてダウンして。

そして、1ヶ月ほど寝たきり状態の鬱になる。

そんなことのくりかえし。


夢みてばかりいられない

普通に生きられない自分もそろそろ受け入れなければならない

3倍の努力をする気力体力も、もう限界。


「私、松葉杖が必要なんです」

「普通の人より歩くのが遅いんです」

「時々、回り道をしてしまうんです」


少しだけ大人になってみて思うのは、勇気をもって、そう言える人になりたい。


40になっても相変わらず
「理想の大人」にも、「社会から必要とされる人」にも、「周りから尊敬される人」にもなれないけれど

いつまでもエッサエッサと不器用に松葉杖をついて歩きながら

道端に咲く草花や夕焼けに感動する人間でありたい。

自分だけの、自分にしか為し得ない高揚感や幸福を見つけること

それがきっと、自分なりの「成幸(せいこう)」なんだろうと思う。


「物申す」というのはちょっぴり大袈裟かもしれないけれど
日本が、世の中が、もう少し

「普通の枠におさまらない人」
「人生を失敗してしまった人」
「身体的、精神的に松葉杖をついている人」

に対して
優しくあってくれたら
生きやすい世の中であったら…と願わずにはいられません。



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