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はたらくこと < いきること

はたらくこと、、、そもそもはたらきたくない。
最近、出勤前に4歳の長男に尋ねてみるのが日課である。
『なんで、パパは毎日会社に行かないとダメなのかな?』
【はたらくからだよ】
『なんで、パパは働かないとダメなのかな?』
【おかねためてりょこうにいくためだよ】
『なんで、パパは働くとお金を貰えるのかな?』
【わかんない~】

働く=お金を貰える そもそもお金となんだろうかと蟻地獄にはまる。
毎日、満員電車で両隣に座る人は赤の他人であるが、毎日一緒だとなぜか親近感が湧き『あなたはなぜ働いているんですか?』と問いかけてみたくなる。
結局、私自身だれかに『答え』を出して欲しいのかもしれない。
『はたらくこと』と『勉強すること』は同じ系統の悩みだと思う。
私は小学生時代から『なぜ勉強しなくてはいけないのか?』と常に悩んでいて、親や友人に聞いて回った時期があった。
今回のそれは恐らく、幼少期のデジタルリマスター版みたいなものであろうと思っている。
『働く』とは広辞苑では『生計をたてるために労働する』と記載がある。
言い換えれば、毎日8時間以上時間を拘束される対価として生計をたてる賃金を得ているということだ。
ただ、嫌な労働で8時間拘束されるのか、好きで好きで堪らない労働で時間を拘束されるかの選択肢は、我々一人ひとりにあるというのは事実である。

今の職場で働く決定をしたのも自分であるし、どんな気持ちではたらくのも自分次第である。
ただ私自身、仕事とは前後の繋がりがあっての労働と考えているので、関わる人にはできる限り、誠意をもって接しているつもりである。
昔は『はたらく』=『会社勤め』の風潮があったが、コロナをきっかけに色々な『はたらく』が出始めたように感じる。
ただ広辞苑に記載しているような『生計をたてる』為だけではなく、自身の信念や使命感によって『はたらく』方々がいてくださるおかげで、このご時世では助かる人々大勢いることも事実である。

私にとって『はたらくとは』家族を支える生計をたてる手段のひとつでもあるが、死ぬまでの永遠の課題であることは間違いない。
ただ、この『課題』の提出期限はないので、長男に引き継ぐ準備だけはしておく。

大昔、私の先祖はマンモスを狩りに行くか、木の実を摘むかの選択肢しかなかった時代にはきっと『なんで選択肢が2つしかないのであろうか』と周りの原始人に尋ねて回っていたのであろう。


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