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「人は見た目じゃない」を心から言えるときって?『そのカワイイは誰のため?』ブックレビュー[28/100]

「なんでそんな血だらけなの?」
小学校4年生の時に、隣に座った男の子が聞いてきた。

私は中学生のころまで、重度のアトピー性皮膚炎に悩まされていた。とくに顔と首、ひじ、ひざなどの関節の症状はひどく、常に血がにじんでいた。とにかく痒いのだ。小学校中学年くらいからは見た目を気にして爪を立てては掻かないように気を付けていた。しかし、眠っている時にはどうしても無自覚に掻きむしってしまう。結局朝起きると顔や首や耳たぶから出血していた。初めてとなりに座った男の子が、冒頭の質問をしてしまうのも、無理はなかろう。

そんな状態だったので「見た目」へのコンプレックスも重症だった。中学に入り、周りの友人たちがおしゃれや美容に目覚め始めると、さらに肩身が狭かった。そこで私は「おしゃれにも、美容にも、興味はありません」というスタンスを貫くことにした。
「彼女は、そういうの、興味ないらしいよ」と自分にも周りにも思わせることで、その話は私にはされない。そうやって、やり過ごした中学時代だった。

私のアトピー性皮膚炎は、幸いにも成長とともに快方に向かい、今では名残として薄く残る程度となっている。しかし、あの当時、スマホがなくて本当に良かったな、と思う。写真を撮ることが身近になり、SNSで可愛いくてきれいな同年代が画面を埋めつくす時代に生きていると、私はもっと自分の容姿に自信を無くし、人とコミュニケーションを楽しむことができなかったかもしれなかった。

「見た目で判断してほしくない」「カワイイだけが、正義じゃない」なんて口では言いながら、一方で強く意識していた10代を過ごした。だから、最近になって“ルッキズム”という言葉を聞いたときは、時代の変化を感じて感動した。“ルッキズム”とは外見がその人間の価値を測るのに一番重要だという「外見至上主義」の考え方のこと。主に、その思考を批判するときに使われることが多い。“ルッキズム”という言葉に敏感に反応してしまう私が、何気なく見ていたTwitterのタイムラインに『ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話』という副題がついた書籍が上がってきたときには「これは、私のためにある本だ!」と思った。本のタイトルは『そのカワイイは誰のため?』。

著者の前川さんは、小学5年時にオランダから日本の小学校に転校した。転校初日の教室でつけられたあだ名は「デブスパッツ」。以来、カワイイと言われることへの諦めの姿勢をとった中高時代の話などは、心理状況が私とかぶるために大いに共感した。人は、最初から負けるとわかっている土俵には、立ちたがらない。興味がないというポーズをとることで、自分を守ろうとするのは私だけではなかった。

前川さんご自身は、大学時代から社会人になってしばらく、拒食と過食を繰り返すほどに“ルッキズム”の闇に囚われていたことを本書の中で語っている。世界銀行でインターンをし、外務省で働いた経歴を持つ前川さんに対し、私は聡明な方だという印象を抱いた。論理的に課題を解決していく思考回路を持った方であっても「みんなに褒められる容姿にならなければ」という思考からの呪縛から解放されるまで、それなりの時間がかかったことが本書の中では赤裸々に描かれていた。

彼女自身はアメリカへの留学中に「(痩せすぎていて)セクシーではない」と言われたことがきっかけに「美容は、自分が自分を好きでいるために追及する」という考えに至っている。外務省で国際協力に身を置いていた前川さんが、スリランカで起業したことと、ルッキズムの話がどのような流れでつながっていくのか、それは本書をぜひ読んで欲しいと思う。

本書の中で、興味深いエピソードを1つ紹介したい。それは、あるイベントでの出来事。スリランカの伝統衣装であるサリーを着て、おしゃれしたスリランカ女性たちは、モデルのようにキメキメでポージングをし、自撮りして、加工アプリなしでSNSにアップロードしていたという。自分だけでなく、人の体形も気にせず、すてきね! と褒めあう。連写した自撮り写真をすべてSNSに掲載した人に「ほとんど同じじゃん!」とツッコむ著者に、スリランカ女性が返した言葉は「どれも素敵すぎて、選べなくてさ!」。なんて幸せでこちらまで嬉しくなる言葉だろうか。おしゃれしてきたことをお互いに「いいね!」をしあう堂々とした彼女たちの姿に、前川さんは「気持ちよく自分のために運動や食事を楽しみ、自分らしさを取り戻せた」と書いている。私自身、自分の容姿に対してのコンプレックスと上手く折り合いがつけられるようになったのは、大学時代に、タイで活動するNPOでインターンをしたときの経験による。タイの女性たちもまた、スリランカ女性と同じように自撮りが大好き。そして、こちらがカメラを向けると「きれいに撮ってね! あ、どんな方向からでもキレイだから、カメラマンの腕は必要なし!シャッター押すだけで大丈夫だわ! あはははは」という感じだ。この明るさに魅了され、私もこの精神で行こうと思った。

それでも、日本で生活していると、SNSに上がっている他の人と比べて「自分はまだだめだ」と思ってしまうことがある。SNSに上がっている旧友たちの姿と自分を比べてしまうと、闇に落ちる。このSNSの使い方は不健全だ。しかし、スリランカ女性のように自分の自己肯定感を高めるためにSNSを使えるようになったら、素晴らしいことだなと感じた。

現在中学生の我が家の娘は、何かというと自撮りをしては、お互いに写真を送りあっている。自分の頃に比べて「私ってカワイイでしょ!」と言えるようになったのかなと、新しい流れをほほえましく、嬉しく思う反面、加工アプリを使いまくっていることには、違和感も覚えている。

ウサギになったり、宇宙人になったりできる加工アプリを、面白く使うことは素敵だ。しかし、美人に見えるように加工して、そうではない自分と比較するようにならないで欲しいな、とドキドキしながら娘たちを見守っている。もう少し大きくなったら、ぜひ娘たちにもこの書籍を読んでもらい、母娘で話し合いたいなと思っている。たぶん、今の彼女にこの本を渡しても「でも、カワイイって言われると嬉しいじゃん」と言うだろう。「あれ? カワイイ、だけが正義なのか?」などと、容姿に関する疑問を抱いたときにこそ、この本は刺さるのではないかと思っている。そして、そんなときこそ手に取りたくなるタイトルだ。『そのカワイイは、誰のため?』この疑問が娘たちの頭をかすめるその日まで、我が家の本棚の一番見える場所で、待機してもらおう。


今日、さとゆみゼミの同期まさやんが、note100日記録を達成しました。私も今日は本当は100回目を書いていたはずの日。だけども、途中であきらめてしまいました。
亀の歩ですが、今年度中に100回目指して、コツコツと書いていきたいと思います。
まさやん、本当にすごい!!!おめでとうございます!!!!!!


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